「源頼朝に仕え、千葉中興の祖と言われる千葉介常胤公は七人の男子を儲ける。
 各々、千葉介新助胤正、相馬次郎師常、武石三郎胤盛、大須賀四郎胤信、国分五郎胤道、東六郎胤頼、七男は出家し日胤を名乗り、三井寺にて祈祷僧となる。
 三郎胤盛が、現在の武石の地を、承安元年(1171)11月15日伝領す。武石城の始まりである。
 四世孫武石小二郎入道長胤公が、正元元年(1259)12月10日長作の地を領す。弘長2年(1262)自らの館を寺とする。
 上総七里法華弘通の師、日秦上人(永享4年1432~永正3年1506)の法孫日傳上人により、天文14年(1545)日蓮門下に改宗、のち元禄14年(1701)東金最福寺の流れに、属す。
 爾来法華経の信仰道場として連綿相続している。  三十六世 清寿院日祥」