真蔵院の板碑が元あったという須賀原の愛宕山古墳。
『千葉郡誌』によれば、武石三郎胤盛の母(秩父重弘の娘)は故あって海中に身を投げ、漁人の網にかかったその遺骸を葬ったのが、須賀原愛宕山で、7本の石碑を建立したという場所。
江戸時代の宝暦3年に開墾された際に、残されていた板碑1基を真蔵院へ遷したとのこと。
石室の存在と直刀、鏃、耳環などの遺物が出土、古墳時代の古墳を中世の塚墓として利用したらしい。