9月14日、房総石造文化財研究会の石仏見学会で、旧野田町を歩きました。旧野田町は、あっちへ行ってもこっちへ行っても、キッコーマン。野田の町が醤油製造で栄えるのは、江戸後期文政の頃らしいですが、その活気は、その頃の石造物を見ても強く感じさせられました。これは、野田市指定文化財の猿田彦像塔、文政6年(1823)銘の傑作です。
上花輪香取神社 文化11年(1814)の「青面金剛」銘文字塔江戸後期の庚申塔は、他地域と同様、青面金剛像塔から簡素な文字碑に変っていくものが多いのですが、野田の町では、醤油製造で景気が良くなる時期なので、文字碑といっても、とにかく大きな石をふんだんに使い、台石には苗字入りの名を刻み、さらに三猿の意匠に凝るなど、その経済力を示すような庚申塔がめだちます。