上花輪香取神社 文化11年(1814)の「青面金剛」銘文字塔

江戸後期の庚申塔は、他地域と同様、青面金剛像塔から簡素な文字碑に変っていくものが多いのですが、野田の町では、醤油製造で景気が良くなる時期なので、文字碑といっても、とにかく大きな石をふんだんに使い、台石には苗字入りの名を刻み、さらに三猿の意匠に凝るなど、その経済力を示すような庚申塔がめだちます。