四臂青面金剛像を刻む庚申塔
上花輪香取神社 寛文11年(1671)の銘
野田の町は、18世紀後半に醤油製造で潤う町へ変貌し、石造物も町の繁栄と富を映すものになりますが、それ以前の江戸中期までの石造物には、北総や江戸川流域の地域と共通する信心深い石像が数多くあり、この塔も、中期の青面金剛像確立過程期の優品です。
9月14日、房総石造文化財研究会の石仏見学会で、旧野田町を歩きました。
旧野田町は、あっちへ行ってもこっちへ行っても、キッコーマン。
野田の町が醤油製造で栄えるのは、江戸後期文政の頃らしいですが、その活気は、その頃の石造物を見ても強く感じさせられました。
これは、野田市指定文化財の猿田彦像塔、文政6年(1823)銘の傑作です。
四臂青面金剛像を刻む庚申塔
上花輪香取神社 寛文11年(1671)の銘
野田の町は、18世紀後半に醤油製造で潤う町へ変貌し、石造物も町の繁栄と富を映すものになりますが、それ以前の江戸中期までの石造物には、北総や江戸川流域の地域と共通する信心深い石像が数多くあり、この塔も、中期の青面金剛像確立過程期の優品です。