
幕末の絵図で、戦国時代にはなかった本丸~三の丸などの近世城郭部分と、幕末のお台場も描かれていますが、北条時代の総構のラインは変わっていないとのこと。
総構に囲まれた城域は、最西の3本の尾根が集まる扇の要のような「小峯御鐘ノ台」から左右に広がり、相模湾に達する壮大なものです。
小田原駅西口の北条早雲像
11月23日午後、北条氏の小田原城「総構(そうがまえ)」の遺構を、「小田原まちあるき検定」に参加して、小田原駅西口から約5km3時間ほど歩いて探索してきました。
「総構」は、秀吉軍の包囲に対抗して、北条軍が周囲9kmの自然地形を利用して築いた防御の外郭施設で、今回は、その西側の丘陵に築かれた堀と土塁のスケールを体感できました。
幕末の絵図で、戦国時代にはなかった本丸~三の丸などの近世城郭部分と、幕末のお台場も描かれていますが、北条時代の総構のラインは変わっていないとのこと。
総構に囲まれた城域は、最西の3本の尾根が集まる扇の要のような「小峯御鐘ノ台」から左右に広がり、相模湾に達する壮大なものです。