『日本石造物辞典』によれば、輿山墓地の惣供養塔の役割を果たしていたと考えられるとのこと。
そのプロポーションは大和地方の初期宝篋印塔の原点で、円福寺の北塔もこれをモデルに作塔されたと思われています。