佐倉市小竹から手繰川越しに見た臼井城惣構臼井城は、千葉氏一族の臼井氏の後、小弓城から原氏が入り、戦国末期には、印旛沼に浮かぶ半島状の台地全体を城域とする「惣構」が構築されました。
小弓城から移った原氏の招きで、小弓の大巌寺の道誉上人が、元亀元年(1570)、印旛沼の眺めのよいこの曲輪内に長源寺を創建したと思われます。この4年前永禄9年(1566)には上杉謙信の攻撃があり、上杉軍退却後も里見軍が下総侵入をうかがっていたという緊張状態の時期で、このような時代に建立された寺は「城砦寺院」の典型だったと考えられます。