R-1 浦上の「被爆マリア」によせて=戦争責任の「主語」
2001年11月、まだ始めて間もないころの「さわらび通信」に『平和への使節=浦上の「被爆マリア」』をアップしました。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/5hibakuseibo.htm
1999年に長崎のキリシタン史跡を探訪した際、そしてその翌年の2000年原水爆禁止世界大会のため長崎を訪れた際に、浦上天主堂で拝見した被爆したマリア像についての思いをつづったページです。
その中で私は浦上教会の信徒さんからお聞きした言葉を、次のように書きました。
『被爆したあの日のことを浦上では、「五番崩れ」という。
「浦上四番崩れ」は明治新政府により、浦上のキリシタン信徒が村ぐるみ流罪に処せられた事件。 「四番崩れ」で壊滅し復興した町は、再び「五番崩れ」の原爆で廃墟となった。
「ここに原爆が落とされたのは、雲の切れ間にこの町が見えたというその日の天候だけが理由で、本当は他の軍都や大都会が目的だったらしいのです。 山の谷間のような地形のここでなく、広い平野の町だったら、このなん百倍もの被害が出たかもしれない。浦上は、人類史上最も悲惨な世界大戦に終止符を打つために、人間の罪の代償として天に捧げられた町だったと思います。」と問わず語りにおっしゃられた。』
その後、「主語」と題して、わたしの記事を引用し、あえて疑問と批判を記した「Journal Hababam」というブログ見つけました。2003年の長崎原爆忌の日に書かれた記事です。
http://fikrimce.sharqi.net/journal/2003/08/0922.html
「原爆使用については、戦争を終わらせるためだったとかなんとかもっともらしいことが言われてるんだろう。わたしはそれが正当な話かどうかは知らない。(中略)
アメリカはやっちゃいけないことをした。許されないことをした。犠牲者はほとんど一般市民だった。(中略)こんな無差別大量殺戮をやらかした国は他にない。(中略)
反米感情を煽ろうと思って言うわけじゃない。でも、この行為の主語やその意味は決してあやふやにしてはいけないと強く思う。」
この率直なご意見に私は「もっともなこと」と思いましたが、その時はあえてネットにその記事に対してのコメントを発信することは控えました。
「世界大戦に終止符を打つために、人間の罪の代償として天に捧げられた町=浦上」という言葉は、「長崎の鐘」の著者永井隆博士が被爆直後の合同葬で読まれた弔辞の趣旨でもあります。
浦上はキリスト教徒の町であり、江戸時代そして明治になっても厳しい宗教弾圧とそれゆえの理不尽な差別を負ってきたという歴史がありました。
追撃ちのように浴びせられた「キリシタン=浦上=悪者=天罰」という差別と偏見は、被爆した信徒に、立ち上がれないほどの心の痛みをさらに与えました。
博士があえて「平和のための尊い犠牲」と表現された言葉は、この絶望のふち にある被爆信徒に励ましと希望を与えるものであり、当時の過酷な社会背景をふまえることなしに、安易に語れなかったからです。
とはいえ、「Journal Hababam」で書かれているように、けっして、「主語」をあやふやにしてはならないことです。
今年6月30日の久間章生防衛相の「しょうがない」発言(「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」)は、「Journal Hababam」氏の懸念そのものでした。
私のHPの文章は、たしかに大事な「主語」を欠いていました。
2007年8月15日のこの日に、やはり言っておかなければなりません。
広島と長崎に原爆を投下したのはアメリカ軍であり、「国体護持」にこだわって終戦の判断を遅らせ、沖縄・広島・長崎の被害を拡大したのは、天皇と軍部の責任です。
まさに「戦争は人間のしわざ」(ヨハネ・パウロ2世)なのですから・・
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