F-5 謎が深まる市氷川女体神社の「牡丹文瓶子」
謎が深まるさいたま市氷川女体神社の「牡丹文瓶子」
(「国宝 大神社展」の展示から)
私が、さいたま市緑区の馬場小室山遺跡にかかわったのは2004年秋からですから、もう10年間になります。
その間、見沼の歴史と民俗にも触れることも多く、特に氷川女体神社については初詣や磐船祭、史跡散策を通じて、関心を深めてきました。
その女体神社の有する多くの文化財のうち、埼玉県有形文化財の「牡丹文瓶子 一対」が、2013年4月9日からの東京国立博物館での「国宝 大神社展」に出品されていました。 (↓図録から)
2005年に『利根川』第27号に「馬場小室山遺跡と出会って」に、次のように書きました。
「1989~1991年第一調整池建設に伴って発掘調査された四本竹遺跡からは、古銭や790本のおびただしい数の祭竹が出土した。
字「四本竹」とよばれたこの地は、四方を竹で結界して行われた御船祭御旅所の祭祀跡とされ、その起源は発掘調査で見つかった竹の本数から、古代まで遡る可能性も示唆されている。
また、この祭儀に用いられた一対の牡丹唐草文瓶子は中世陶磁器を代表する15世紀の美濃焼として東京国立博物館に納められ、御座船に載せられた神輿は桃山時代の作として、瓶子とともに県の文化財に指定されている。」
井上香都羅さんの『みむろ物語-見沼と氷川女体を軸に-』では「この一対の瓶子は伝えによると、享保十年八月七日、一つが沼から出て、もう片方がその三年後に浮き出てきたと伝えられています。」といういわくつきの神器です。
東京国立博物館に展示されているというこの瓶子が見たくて、東博に足を運んだ際探してみたのですが、十年前の「日本の陶磁」の特別展示をしたときに出品されていたが、今はしまってあるとのこと。またの機会を期待するだけになっていました。
今回の「大神社展」では、「伝世の名品」の部に「黒釉牡丹唐草文瓶子 元時代 13-14世紀」と書かれ、中世の代表的な瓶子として展示されていました。
私は、モノクロ写真でしか見たことがなかったので、褐釉としては釉薬の色が濃いが黒釉とまではいかないことと、瓶子としてのプロポーションがどっしりして、文様の彫りもおおらかなことが意外でした。
そして図録の解説では「かつては室町時代の15世紀に瀬戸窯あるいは美濃窯でつくられたものと考えられていたが、轆轤が左回転であること、胎土が緻密で灰色を呈していることから、中国産の可能性が考えられるようになった。・・・ただしこの種の黒釉陶器の生産の様相についてはまだ不明な点が多く、具体的な産地はつまびらかではない。」と書かれています。
要するに舶来品らしいが、産地不明ということなのでしょう。今後の研究が待たれます。
例年5月4日には、「氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡」で、復活した「祇園磐船竜神祭」が行われます。
この祭りに、この瓶子のレプリカが使われたらいいなと思いました。
(写真は、2010年5月4日の「祇園磐船竜神祭」の神事です。)
「祇園磐船竜神祭」の様子↓ http://homepage1.nifty.com/sawarabi/saijiki/07.05.04nyotaijinnja1.html
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/bannbaomuroyama/100504/No.50.html
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