2007年5月26日 (土)

M-2 西アジアの遺丘(テル)の風景と最古の女神像

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  今日(5/26)午前中は、五月祭でにぎわう東京大学へ出かけ、東大総合研究博物館で今日から開催の企画展「遺丘と女神-メソポタミア原始農村の黎明」を見てきました。 (残念ながら、会場は撮影禁止ですので、会場内の画像はありません。館の公式HPも図録もまだできていません)
 展示の主人公はシリアのテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡から出土した約9000年前の女神の土偶。「メソポタミア地域最古の写実女性土偶。初期農耕民の信仰が分かる」のだそうです。
  070526_002s高さ約15cmぐらいで未焼成ですが、泥をクリーニングして現われた顔は、ポスターの未整備な姿とは違い、目鼻立ちくっきりの艶やかな面差し、後姿は長野県棚畑のヴィーナスさながらの丸くぷっくりしたお尻が印象的です。(6月10日まで実物を展示、以後はレプリカ)

 もうひとつこの展示で、印象深かったのは、「遺丘(テル)」の姿。
 会場のプロローグを飾るは、1956年のテル・サラサートの写真と江上波夫先生の詩でした。

 070526_004sテル・サラサートの丘に立ちて
               江上波夫

  この遺丘(テル)は村落(むら)の亡骸
 村落(むら)に生まれ 村落(むら)死し
 代代(よよ)の村落(むらむら) その亡骸を
 ここに埋め 積み重なりて
 風悲しき丘となれり

 黄泉(とこつよ)のこの村落(むら)むらの
 070526_011s萱ぶきの屋根は崩れ
 泥土の壁も空しく
 土台(つちくれ)のみ積み重なりて
 家々の骨格(ほねぐみ)を露わす

 住み人は 老いも若きも
 冷たき床に永遠(とこしえ)の沈黙(しじま)にたえ
 壁際のパン焼竃に
 火は消えて六千有年
 ティグリスの曠野に
 人知れず横たわる
 
この村落(むら)むらの亡骸

 われらいま 科学の魔杖もて
 この村落(むら)むらの亡骸に
 光と 動きと 言葉を与え
 この遺丘(テル)をして 
 現世(このよ)に 鳴動せしめんとす

 会場の真ん中にも大きな遺丘(テル)モデルと遺丘断面パネルが立体的に表現されています。
 この風景はどこかで見たはず!
 そう! 発掘調査直後の馬場小室山遺跡、そして栃木県の寺野東遺跡のジオラマ模型の姿そっくり。
 2005年10月1日馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」で、明大の阿部芳郎先生が『「環状盛土遺構」より、「遺丘集落遺跡群」』と定義したほうが良いと提起された遺丘(テル)の実像に少しでも触れることができたように感じました。
 070526_058s(ただ、遺丘モデルの裾に置かれたらくだの模型の小ささで推し量ると、その規模は十何倍も違いますが・・・)

 そのほか「メソポタミアの最古の土器」、線刻や黒と赤で彩色された紋様があざやかな「メディアとしての土器」なども、日本列島の縄文紋様の土器に思いを馳せながら、興味深く観てきました。

  総合研究博物館を出て、息子のかかわっていた文芸サークルの五月祭展示会場にちょっと寄って、午後からは、お茶の水の明治大学へ赴き、日本考古学協会の公開講演会を聴き、駅への帰り道、お茶の水クリスチャンセンター4階の聖書考古学資料館に寄ってみました。

 この資料館の開館は月曜と土曜の午後1~6時までで、そのほかの日はいつも閉まっていますが、今日はちょうど開いていて、ラッキー!
 シリアからイスラエル~エジプト~ローマの古代遺跡と遺物(ブラック・オベリスク、粘土板文書、円筒印章、壷・碗などの土器、土偶など) が展示されていて、さらに膨大な旧約聖書の背景となる西アジアの考古学資料を身近に親しむことができました。 (ここも撮影禁止です)
 解き明かされる最古の人類の歴史、考古学協会の講演会も含め、その文化の源流を訪ねる一日でした。

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2007年4月22日 (日)

M-1 行ってきました!国立東京博物館の レオナルド・ダ・ヴィンチ展 

070421_041_2 昨日の土曜日(4/21)は、久しぶりに「遊んで」過ごしました。

行った所は国立東京博物館の 特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の実像」
今、街中も駅も、小さな博物館も教会も、レオナルドの《受胎告知》のポスターやチラシであふれているし、NHKも朝日新聞も特集報道で真っ盛り!
近頃は、ちょっと込みそうな特別展は金曜日の夜の延長開館など利用し、人ごみをかきわけてとか、行列を作って並ぶなんてめったにしないのですが、今回のダ・ヴィンチ展は、ダメモトで申し込んだ記念講演会(池上 英洋 氏「レオナルドで知るルネサンス―波乱の生涯と、激動の時代の魅力」)の入場券が抽選で当たったので、一番込みそうな土曜日の午前中から出かけることにしました。(→混雑状況

070421_022_1 有名な美術展は、駅を下りた時からなんとなく興奮するのですが 、桜の花から新緑へと景色の変わった上野の公園も、動物園を過ぎるとほとんど東博へ人が流れて行くよう。
門を入ると、本館から東洋館の端までずっと人の列、「ここが本館の「受胎告知」の40分待ちの最後尾」と案内しています。聞けば、第2会場の平成館の方は、まだそんなに並ばなくてもよいとのことなので、まずは、先にそちらの会場から見てまわりました。

フィレンツェのウフィツィ美術館で開催されていた企画展「The Mind of Leonardo 」をアレンジした特別展で、ダ・ヴィンチの「手稿」を元に、彼の創造世界を解き明かす試みが、実験模型の再現やCGによる映像などでふんだんに紹介されています。

070421_032その中でも興味深かったのは「《最後の晩餐》における心の動き」の映像。キリストへの裏切りが告げられると使徒たちがそれぞれ個性的な反応を示す、その反応を劇的なイメージでひとつの作品に描いていることをCGで表現しています。

もう一つは「調和のとれた動き、プログラムされた動き」の例として、3つの連続した動きを調和させた作品《聖アンナ、聖母子と洗礼者ヨハネ》の紹介。一枚の絵の中に、幼子イエスの身を投げかけるようなしぐさ(後の受難の予見)、母マリアの思わず抱き戻そうとする動き、そしてマリアの母アンナが天を指し示しイエスの犠牲が神の意思によるものとマリアに気づかせる動作が描かれています。

遠近法や光と影の使い方などの技術を駆使して三次元の立体像を二次元に表現することの難しさもさることながら、一瞬をとらえた絵の中に動きと物語性を持たせるなんて本当にすごいことだと、ただただ感心してしまいました。
時系列的な物語性の表現としては、「信貴山縁起」など何枚かの絵に描き分ける絵巻のような表現形態もあるのでしょうが、人の能力の限界を超越したレオナルド・ダ・ヴィンチの才能に敬服しました。

池上氏の記念講演では、ルネッサンス当時の戦国社会、ダ・ヴィンチ家の生活や系譜(男女の歳の差のある婚姻、婚外子レオナルドの処遇、産褥死の多さ)などの歴史考証も興味深かったのですが、レオナルドの科学の探求について、解剖などのあった当時は抵抗もあった試みもあえて行ったことの背景には、被造物に働く神の業の法則をその中に見出そうとした彼の信念があったと述べられたことが印象的でした。

さて、講演会も終わった3時過ぎ、30分待ちぐらいになった「受胎告知」の行列の後に並び、本館特別5室へ向かいました。
ポスターやカードで見慣れていた「名画」、やはり本物はさすがですね。
ニスの除去などの修復でよみがえったというこの絵の美しいこと! 
油絵とは思えないほどの精密さと、大胆で奥行きとひろがりのある構図。
でも、列の中で先へ進んで外に出なければならず、うっとりしている間もありません。

また、平成館に戻り、「伝」レオナルド・ダ・ヴィンチ作という《少年キリスト像》などを見たり、休んだりして、午後6時の閉館間際、また本館特別5室へ。このときは最後尾でゆっくり見ることができました。
マリアの美しい表情も、天使の羽も、衣の量感も、背景の山河もすばらしい!の一言ですが、間近で見た地面を覆う草花。緑色ではなく、漆のような黒褐色の地色に、薄い色の葉の線、そして白・青・紫色の可憐な花が描かれています。
この草花を見たとき、思い出したのは、一年前、東京国立近代美術館で開かれた「生誕120年 藤田嗣治展」でのある絵でした。
1枚は《アッツ島玉砕》、もう1枚は《十字架降下》、その暗い色彩の地面にもわずかに草花が描かれていました。また《優美神》の作品では、草花がテーマではないかと思えるほど、丹念に描いています。
晩年レオナードの洗礼名をつけた藤田嗣治は、この《受胎告知》の草花に思うところがあったのでしょうか。
その頃の修復前のこの絵では、地面の草花ももっと暗かったことでしょう。
藤田嗣治は、このめだたないこの草花になにか心引かれていたのではないかと、思い巡らしました。

ミーハーといわれればそのとおりですが、みんなが見たくなるものは見てみなきゃと、私も行列の一員になった話題の展覧会。
4月21日だけで来場者数が1万数千人だったようです。

そういえば、小学生の頃(1959年)、この東博で「正倉院展」を見ました。
高校教師だという友人の父親に、一般より優遇された高校生の団体の列に入れてもらったのですが、それでも一時間以上は並びました。
その時見た鳥毛立女屏風や螺鈿の五絃琵琶、白瑠璃碗などは、その時受けた国際的な古代日本の印象とともに、今でも鮮やかに覚えています。

070421_046並んだということでは、2002年春に行われた巨勢山古墳群の條ウル神古墳現地見学会がすごかったですね。
このときの人出は1万人とか。

楽しかったきのう一日、夕暮れの上野公園を歩きながら、今度はぜひ、ウフィツィ美術館でダヴィンチやラファエロの作品に接してみたいと思いました。

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