J-4 ヲサル山遺跡の注口舟形土器の不思議
今年も、八千代市郷土歴史研究会の「ふるさとの歴史展」と『史談八千代』32号刊行が近づいてきました。
テーマは、昨年度に続き「大和田新田の総合研究・Ⅱ」で、私は、例年担当の民俗分野の研究に加え、今年度は「埋蔵文化財調査からみた原始・古代の大和田新田の姿」を発表します。
実を言うと、大和田新田地区は、東葉高速鉄道の開通により八千代市でも近年の開発が一番激しいエリアで、大規模は発掘調査にともなって山積みの調査報告書が刊行されてはいるのですが、その調査成果は一般市民にもあまり知られていないようなのです。
私にとって、考古学分野のレポートは初めてなのですが、貴重な調査報告に対し、市民自らが学ぶということを実践する良い機会だと思って、千葉県文化財センターの図書室に通い、報告書の山に挑戦してみました。
出土遺物については実物を見たくても、ほとんどかなわなかったのですが、その中で、ヲサル山遺跡出土の注口舟形土器だけは、八千代市郷土博物館に展示されているので、許可を得て撮影することができました。
この注口舟形土器は縄文中期の阿玉台式ということですが、とても不思議な形をしています。注口土器といっても、土瓶のルーツのような後期晩期の注口土器とは違って、浅く広口で、どっしりしています。
果実酒の上澄みを取り分けたのかしら、などとその機能を勝手に想像してみたのですが、他に類例が見いだせない珍しい形らしく、その筋の専門家にお聞きしても、文献をあさってみても、どういう土器なのかわからずに、『史談八千代』の原稿提出の締切は過ぎてしまいました。
その後、10月20日刊行されたばかりの『日本の美術』497号(縄文土器中期 土肥孝)をぺらぺらめくっていたところ、福島県只見町の水差形土器の写真が載っていて、中期の「この形態は『急須形・土瓶形』として(後晩期へと)継続していく」と書いてありました。注口舟形土器はもちろん載っていませんし、また水差形も系譜がたどれるほどの事例がなさそうなのですが、やはり筆者も「中身は麻酔作用をもたらす薬液や酒の類であったと考えている」ようです。
さて、この水差形土器と注口舟形土器、その側面の形は水鳥に似ているとは思いませんか。
先日(10月14日)、早稲田大学での「縄紋社会をめぐるシンポジウムⅤ-縄紋社会の変動を読み解く」で、高橋龍三郎が「イノシシ形土製品と並んで、獣形(美々貝塚で出土)とか亀形土製品があるが、それは『トリ』の形をデフォルメしたのではないかと、設楽先生などが提案されている。 日本列島には、イノシシ族とトリ族という半族があって、そのシンボルとしてのイノシシとトリの土製品が残された」という、面白いお話をおうかがいしました。
酒を酌み交わすような儀式や祭りで使ったとしたら、そこには「半族」のシンボルがあってもよさそうと思うのですが、いかがでしょう。
(写真は真脇遺跡の鳥形突起付土器 『日本の美術』497号)
このブログを見てくださっている方で、中期の浅い注口土器の事例などをご存知でしたら、ぜひご教示いただきたく思います。
そして、11月24-25日、ふるさとの歴史展にも足をお運びいただければ幸いです。
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