I-10 あこがれの阿玉台貝塚&良文貝塚
お正月三が日を、皆様はどうお過ごしでしょうか。
昨今は東博も江戸博も2日からオープンのようですが、ほとんどの博物館や資料、図書館は4日までお休み。
というわけで、初詣客に開放している寺社仏閣の付属博物館、寶物館を見学し、ついでに、古墳や貝塚、中世遺跡などを探しに田舎道をドライブというのが、わが家の恒例行事です。
今年は、大晦日の真夜中に地元の大和田新田の2つの神社の元旦祭の取材と初詣をし、朝はゆっくり起きてから、芝山の観音教寺へ。
このお寺のはにわ博物館は、旧館のころから何回も足を運んでいますが、何度見ても飽きない博物館ですね。
観音さまにもお参りをしてから、今年は、あこがれの阿玉台貝塚と良文貝塚を目指して、小見川へとドライブ。
ハンディで、古墳以外の情報もいっぱいのガイドブック「房総の古墳を歩く」と、持ち運ぶのも困難なA4版1200頁の分厚い「千葉県の歴史 資料編 考古Ⅰ」を車に乗せて、北総台地を走りました。(フォトアルバム⇒史跡歳時記「小見川の縄文遺跡探訪・阿玉台貝塚&良文貝塚」)
なぜ、急に阿玉台・良文貝塚に行きたいと思ったかというと、2004年の終わりごろ、馬場小室山遺跡と出会って、初めて縄文土器の型式を教えていただいたとき、「雲母きらきら・阿玉台」式だけは、何とか覚えられたから。
房総の発掘資料展などで、ずらっと並んでいる土器の中でも、一番わかりやすい形をしています。
⇒画像は馬場小室山第2遺跡出土の阿玉台式土器片〈右)と酒々井町墨古沢遺跡出土の土器 2005年度千葉県文化財センター展示会にて撮影〈左)
「おたまだい」という発音で教えてくださる方も多く、阿玉台遺跡はきっと、アとヲとオの発音の区別ができない地域にあるんじゃないかとも思っていました。
良文貝塚は、平良文伝承に由来する村名だった地域、そのゆかりの地の景観にも興味がありました。
ここから出土した加曽利B式期の香炉形顔面付土器も面白いですね。(千葉県のたいていの歴史の本のグラビアに載っている縄文人のリアルな顔のついた土器です)
芝山から多古、栗源と走り、小見川の町から山に入り、現地に着いたのは午後3時過ぎ。
良文の遺言どおり、ユウガオの実から良文の化身の観世音が現われたという「夕顔観世音」碑と、水仙の花が夕陽に輝いていました。(⇒画像は「夕顔観世音」碑)
阿玉台貝塚は縄文中期が、良文貝塚は後期が主流とのことですが、縄文のころは海がここまで浸入していたのでしょう、現地に立つと、斜面には貝殻が点々と白く見えます。
またもう一度訪ねる機会があったら、資料館にも立ち寄って遺物などを見てみたいと思いました。
ところで国指定史跡といっても、民有地がほとんどの遺跡ですが、地元の方々による保存への努力で、明治の発掘当時から、史跡をとりまく景観は大きく変わっていないそうです。
阿玉台では「梅の里史跡公園保存会」が、良文貝塚では昭和4年の大山史前学研究所の調査当時から活動してきた「貝塚史蹟保存会」が散策路の植栽や看板、地層観察室の設置などを続け、現代は「地域住民が主体的に地域資源を活用して歴史教育、都市との交流、自然観察、体験活動などを展開していく田園空間博物館」という形で農水省「田園空間整備事業」に参加しているとか。
地域のアイディアにより、この由緒ある史跡がどのように整備されていくのか、興味深く見守っていきたいと思います。
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