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2013年10月19日 (土)

M-6 「モースが見た庶民のくらし」展~江戸博にて

 
131017_005_2_7 10月17日、両国の夜空に十三夜の月がさえる中、江戸東京博物館の特別展明治のこころ モースが見た庶民のくらし」“ブロガー・特別内覧会”へ。
 この展示を
企画された小林淳一副館長のギャラリートークをお聴きしながら、展示を拝見でき、とても充実した夜となりました。


 モースについては、日本考古学の始まりというべき大森貝塚の発見のほか、日本の庶民生活を観察したこともよく知っていました。
 でも今回の展示で、こんなにもたくさんのすばらしいモノの収集をしておられたとは、本当にびっくりです。

 まさに、「日本がなくしたものを、彼がとっておいてくれた」珠玉の品々が、今回一堂に里帰りしていました。

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大森貝塚の発見

 今回のモースコレクション展では、「大森貝塚」についての展示は、第1章「モースという人」の導入部のごく一部の展示だけですが、彼のスケッチと実物(縄文後期の土器)が並べてあります。
 
写真が一般的でなかったころの記録、その正確な描写には、若年の一時、製図工であったモースの、実物をしのぐ絵の力を感じました。

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Photo モースが発見した縄文土器(東京大学総合研究博物館蔵・重要文化財)

 
モースのまなざし

 モースの集めた日本人を対象にした民族資料は、彼が愛する人々のごく普段使いのもの、そして日記に書き留めた日本の音風景は、異国での最初の朝の路上を行く下駄のカランコロンという不思議なよく響く音から始まります。

 今回の第2章の「日本と日本人」のはじめの「よそおう」のコーナーは、片減りし土のついたままの粗末な下駄からスタートします。

 
 
 
 

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布モノの運命

 展示では、武家や公家の女性たち用の高級品の蒔絵の化粧道具などもありますが、なんといっても普段着の着物や下着、手ぬぐいなどが、その姿をとどめていることに驚かされます。

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 左:腰巻と前掛け 右上:手拭い 右下:ぞうきん(弱った生地を重ね合わせ刺し子にしてある)

 これらの布物は、別々のテーマに展示されていますが、「もったいない」の心で使い回しされ、、最後は雑巾としていかされ、捨てられます。それが道具本来の姿でしょう。

 そのいずれ捨てられる運命のモノを、モースは拾い上げ、それぞれの道具本来の理にかなった美しい姿を、時間を止めて示してくれている感じました。

庶民生活の豊さってなんだろう
 使って、飾って、見せびらかして楽しむささやかなグッズ。
 それは職人の技の競い合いとユーモアに共感する遊び心かもしれません。
 モースもまたそんな庶民の遊び心の良き理解者であったと思えます。

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     左:うさぎとたぬきの手あぶり火鉢 右:ミニュチュアの店舗模型(瀬戸物屋)

 

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竹細工の掛け花入れ(キノコ・トンボ・バッタ)、モースの加賀屋敷の自筆に飾られたことが絵日記に載っている

子どもの情景
 モースは当時の町やムラの情景の中で、慈しみ深い家族の姿を、「日本は子どもの天国」「「日本ほど子供が大切に取り扱われ、深い注意が払われる国はない」と表現しています。
 私が驚いたのは、金蒔絵の「犬筥」のような豪華な調度品とともに、それだけではなく、墨で真っ黒になった「手習い帳」や、着物の下に身に着けさせた「迷子札」のような子どもが使った品々を集めていてくれたことでした。

 「こども」のコーナータイトルに飾られている手習い帳には、モースの教え子の宮岡恒次郎の娘の「宮岡きん」の名前があります。「きん」の「き」の字の点が左右逆なのも、ほほえましい限り。
 モースは、真っ黒になっても乾くと新しく書いた文字が墨の上にはっきり残ることを記しています。

 そのほか、モースの娘エディが遊んだ縮緬細工の「うさぎ」や、宮岡恒次郎の妹?の「竹中ひさ」の迷子札など、家族ぐるみで親交のあった弟子や知人の子どもたちの持ち物もコレクションにあって、興味が惹かれました。

03                                  右上:宮岡きんの手習い帳

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   左:安産祈願のための婚礼調度「犬筥」   右:縮緬細工のうさぎ   右上:迷子札

くらしのなかの祈り
 今回の特別展で、私が一番関心があったのは、行者の背に背負われて町やムラを巡り歩く「巡り観音」のモース蒐集の写真のパネルと、そのような習俗の実物資料として蒐集された「巡り地蔵」でした。
 
 「巡り地蔵」は、優しいお顔の子安地蔵で、背負いやすいよう縦長の厨子に安置され、極彩色と過剰な装飾が施されています。
 子育て安産を願う庶民からいくばくかの喜捨をもらいながら、ムラのお堂や辻で開帳されたり、また家々を門付して廻ったのでしょう。

 明治維新後の混乱期に、ボストン美術館などに収められた美術品は数々あるでしょうが、廃仏毀釈されてしまった仏像も限りなく多く、特に古刹の本尊でもないような庶民信仰の仏像がこのようによい状態で保存され、公開されことは極めてまれなことです。
 この「巡り地蔵」は、アメリカで1914年にボストン美術館を経て、モースの民族コレクションのあるピーボディー・エセックス博物館の所蔵となったようですが、このような貴重な民間信仰の実物資料を保存し、里帰りさせていただいたことに、感謝したいと思います。

05 左:「いのり」のコーナー展示   中:「巡り地蔵」  右:「巡り観音」の写真パネル

さいごに
 このほか第2章では、職人の技の世界「なりわい」のコーナーや、モースが見世物小屋で見てコレクションに加えた「生き人形」など、また第3章「モースをめぐる人々」にはモースによって学術的に整理された「モース陶器コレクション」など、貴重で面白いコーナーもまだまだあります。 
 
 

06 左:モース陶磁器コレクションの展示    右:リアルな「生き人形」(ここはだれでも撮影可)

 この特別展の展示は12月8日まで、詳しくは江戸東京博物館の開館20周年記念特別展公式HPをご覧ください。
 なお掲載写真はブロガー展示会参加に限り、主催者の許可を得て撮影させていただいたものです。
 最後に、この特別展を企画し、内覧会で親しくご説明くださり、私にモースについて新しい視点を与えてくださった小林淳一副館長、江戸時代の名残をとどめた明治初期の私たちの先々代の生活を見せてくださったエドワード・シルベスター・モースさまにあつく御礼申し上げます。

 

 

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