M-4 東博の「国宝 大神社展」ブロガー内覧会に参加して
2013年4月9日から東京国立博物館で始まった「国宝 大神社展 」。
私も初日からさっそく見学、百数十点の国宝・重文の神宝・神像のパワーに圧倒されてきました。
中でも、香取神宮の「海獣葡萄鏡 」、氷川女体神社の「牡丹文瓶子 」、吉野の「子守明神像」については興味深く、すでにこのブログにルポを書きました。
帰宅後、図録を見ながら、七支刀や神像、大三輪神社や沖ノ島の奉斎物をもう一度見たいと思っていたら、なんと4月23日夜開催の「ブロガー内覧会」のお知らせ。
さっそく応募したら、運よく招待券をいただき、井上洋一考古研究員による「神道のルーツ!考古を探る」、丸山士郎彫刻史研究員による「神は人に見たてられた!?」と題するギャラリートーク付きで、再度、お宝の数々を、改めて「群」としての視点で見てきました。(⇒井上先生が馬具を解説)
その中から第一・二・五・六章を紹介します。
☆第一章 古神宝
最高位の人の暮らしをカミさまもなさるわけですが、社殿に納められたお宝は、人が袖を通したことのない豪華な装束や手ズレのない調度品など。
これらが、未使用のままタイムカプセルに入れられて、今、私たちの前に封が切られてあるのですから、驚きです。
↑熊野速玉大社の古神宝の装束類(14世紀)
カミさまが着られる装束なので、人が着る物より大きくまたは小さく作られるそうです。
また、遷宮の際、新たに新調され、古いものは人の手に触れられることなく焼却または埋納されるが、何かの事情で神社に保管された古神宝もあり、今回の展示品は、その貴重な事例とか。
☆第二章 祀りのはじまり
神社社殿も、人の手で造られた御神体もなかった原始宗教の時代。
山の神と海の神への捧げものの考古遺物が、その時代の最高の技術と美意識を語ってくれていました。
⇒ 奈良・山ノ神遺跡出土品
神体である三輪山山麓で、出土した
カミ祭り用の酒造りの道具一式
古墳時代の土製ミニュチュアです。
↓国宝 金銅製雛機
福岡・沖ノ島祭祀遺跡出土
実際に糸をかけて織ることもできるミニ織機
(佐倉の歴博オープン時に、このレプリカに感動したことを思い出しました)
☆第五章 伝世の名品
古墳や国衙跡などの遺跡から普段は傷んだ姿でしかお目にかかることのないお宝の数々が、往時のまま伝世品として輝いて並ぶ姿は圧巻です。
教科書や図鑑で見てきたおなじみの古鏡や武具について、細密な部分も至近距離で観察できます。
特に「辟百兵」のパワーを持つ4世紀の「七支刀」、その金象嵌の判読された銘文も一字一字、「海獣葡萄鏡」の瑞兆を現す獣の姿もはっきりわかりました。
なお、一般に縦の姿が知られている七支刀を横にして展示しているのは、一か所折れているため、現状維持の安全を石上神宮から強く言われたためとか。
結果的には、金象嵌を目線の高さで一字一字確認でき、またたくさんの人が一緒に見ることができ、よかったと思いました。
また、七支刀の5月6日までの当初の展示予定が、石上神宮森宮司さまのご厚意で5月12日まで延長されるとのことです。
☆第六章 神々の姿
↑第六章の入口
弓を引き、つがえる姿の随身立像(1162)と若松神社(滋賀県・12世紀)の獅子・狛犬が迎えてくれます
仏像になぞられて神像が作られた8~9世紀、「創作」されたカミの姿は、記紀神話と同じくまさしく人間の姿でした。
↑松尾大社の女神・老いた男神・若い男神の像(9世紀) ↓櫛石窓神社の女神坐像(11世紀)
その品格ある風貌も、老若男女、童形までそれぞれの特徴を表現し、よく見ると個性豊か。
女房装束の女神も、当時の甲冑装束の武人(武神?)も仏像のように儀軌に縛られることがなく、自由に造形されています。
なお、坐像が多く、腰から下の奥行が寸詰まりになるのは、神殿の狭い内陣の扉奥に秘匿されたからとか。
また一木彫であったのは、樹の霊気を宿すためでしょうか。
御姿を見せることのない神像の数々が、これだけそろうと、古代の人が理想とした体格、風貌、そして家族、また時代による彫刻技法や表現、装束の変化などを、楽しく考察できました。 ↑ 南宮神社(広島県)の神像群(12世紀)
男神4躯、女神3躯に、男の子と女の子の神像が1躯ずつ仲良く並んでいます。
最後に、Webやブログなどの発信者、ブロガーの存在意義を評価して、このような内覧会を開催してくださった東京国立博物館の広報担当の皆様に感謝します。
このような新しい試みは、きっと博物館・美術館の今後の活動の方向に良い結果がもたらされると思います。
なお、このページに掲載した写真は、主催者から撮影許可をいただいています。
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コメント
手際よくまとめられていておもしろく拝見しました。大神神社や宗像神社などは私のルーツと関係があるので、宝物も拝見していますが。
稲荷神社だけがそのルーツがよくわかりません。新羅の神、秦氏の氏神という説もありますが。関係の御神宝はなにかございましたか?
投稿: 加来利一 | 2013年4月25日 (木) 13:05
伏見大社を始め稲荷神社の神宝類はたぶんなかったと思います。
稲荷信仰は、中世以降はダキニ天との神仏習合が著しく、その通力で近世・近代には日本で一番数多く祀られている庶民のカミ様ですね。
投稿: さわらびY(ゆみ) | 2013年4月25日 (木) 17:05