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2013年4月15日 (月)

B-1 日本史の節目を告げる 細川ガラシャ追悼の鐘 &ボアソナードゆかりの鐘

 文京区にある西洋式の教会鐘2点を紹介します。

130405_110_5 2013年4月5日午後、春らしい天気にめぐまれ、関口の椿山荘~東京カテドラル~野間記念館~永青文庫を散策しましたが、その際に見た西洋式の教会鐘2点が印象に残りました。
  一つは、目白台1-1、細川家の家宝を伝える永青文庫にあった17世紀初頭の「九曜紋付南蛮鐘」、 二つ目は関口3-16東京カテドラルの関口会館ホールに置いてあるフランス製の教会鐘で、1877年の銘があります。
 キリスト教の禁教(1612年)直前と、解禁(1873年)間もなくの歴史的に貴重なこの二つの西洋式教会鐘は、奇しくも250mぐらいしか離れていない近い場所にありました。

 永青文庫の「九曜紋付南蛮鐘」は、細川ガラシャ(1600年歿)の追悼のため、細川忠興が日本の鋳物師に作らせ、小倉城下の南蛮寺に施入したと伝えられる鐘です。
 表裏に細川忠興以来の細川家の家紋である九曜紋が大きく鋳出されています。
 上部の鈕が鐶の直交している本格的なヨーロッパ式の教会鐘で、3段に分けて鋳造された跡が見えます。

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 明智光秀の三女で細川忠興の正室のたま(珠、または玉子)は数奇な運命を生き、ガラシャの洗礼名のキリシタンになりましたが、関ヶ原の戦い直前の慶長5年(1600年)西軍の石田三成が人質に取ろうとした際に、それを拒絶、家老に槍で胸を貫かせて果てます。
 その死を悼んだ細川忠興は、翌年ガラシャのための教会葬を行い、また慶長7年(1602)から小倉城の城下町整備では、セスペデス神父のもと、教会や集会所もつくられました。
 この鐘が教会に寄付されたのは、細川忠興がキリシタンに比較的寛容であった慶長7年からの数年の間であったでしょう。
 まもなく伴天連追放令が慶長18年12月(1614年1月)に発布、細川家のキリシタン弾圧も激しくなり、小倉城下では、元和元年(1619)10月、加賀山隼人正興長などの武将も殉教しました。

             *   *   *

 一方、関口会館の鐘は、明治10年(1877)献堂された築地教会に、「日本近代法の父」ボアソナードが寄付したもので、名前は「アドレード・ジョセフィーヌ」というのだそうです。
 この鐘には、十字架降下のレリーフが施され、その上に「BOISSONADE」の名がみえます。130405_138_2
 裏面には聖母子像がレリーフされ、この鐘の名と名付け親のデュリ夫妻の名が、鈕には聖人か天使と思われる人物の顔があります。

 130405_139_2この「ジョセフィーヌ」鐘は、元中央区区明石町の居留地にあったカトリック築地教会が明治11年8月15日、聖母昇天の祭日を期して天主堂の献堂式が執り行なわれた際にその鐘塔に設置された鐘で、この鐘塔には、ともにボアソナード夫妻により築地教会に寄贈された大小2つの「姉妹」の鐘があったそうです。

 大の鐘はこの「ジョセフィーヌ」で、小の鐘は、明治9年(1876)にフランスブルターニュ地方のレンヌで製作された銘のある銅鐘で、ルマレシャル神父(築地教会第二代主任司祭)により「NOM MEE JEANNE LOUISE DE YEDO」、江戸のジャンヌ・ルイーズと名付けられました。
 まだ「TOKYO」という呼称が浸透していなかったからでしょう。
 この鐘は、関東大震災と東京大空襲に耐え、中央区の区民有形文化財工芸品に指定されて、現在も築地教会に現存しているそうです。

 「ジョセフィーヌ」鐘は、大正9年(1920)に司教座が築地から関口に移されたときに、関口教会(東京カテドラル)に運ばれました。
 この大の鐘は、太平洋戦争中、金属供出命令で、鐘塔から降ろされましたが、重さ約340㎏もあってトラックに載せることができず、そのまま庭に放置されていたところ、明治憲法記念会から憲法起草の顧問ボアソナードの銘の入った鐘を鋳つぶしてはならないと、強い申し入れがあって、おかげで大砲にならずに済んだとのことです。
130405_129 しかし、昭和20年5月の大空襲で聖堂が焼け落ちた際、鐘に火が入ってひび割れ、鐘小屋を造って鳴らしていたが、ひどい音だったとのこと。
 その後、改鋳が計画され、佐野市の梵鐘屋で改鋳、その際、費用がかかるが原型通りにしてもらったそうです。 

 昭和32年(1957)、ルルドの聖母出現百年記念の年、関口教会のルルドの森の鐘塔に設置され「ルルドの鐘」としてきれいな音を響かせていました。
 その後、昭和39年(1964)東京カテドラル大聖堂が献堂され、ドイツ製の4つの鐘が高い鐘塔に設置されると、ボアソナードゆかりの鐘「ジョセフィーヌ」はその役目を終えました。130405_127_2

 ボアソナードは、明治6年(1873)に来日、幕末に締結された不平等条約の不平等条項の撤廃のため、日本の国内法の整備に貢献した法学者・教育者でありました。
 特に明治になっても行われていた江戸時代からの拷問による自白強要について、明治8年、彼は自然法に反するとして明治政府に拷問廃止を訴えました。
 正式に拷問が廃止されたのは、明治12年(1879)ですが、お雇い外国人の中で拷問廃止を訴えたのは、ボアソナードだけだったと言われています。
 関口のこの鐘には、カトリックの敬虔な信仰に裏打ちされた人道主義を、近代日本にもたらしたボアソナードとその夫人の名が今も輝いています。

    [1877 DONATEURS
     M.M.GUSTAVE EMILE BOISSONADE DE FONTABIE     ET
     MME HENRIETTE BOISSONADE DE FONTABIE]

130405_134

参考資料
『時を越えて‐関口教会八十周年記念誌』1980 カトリック関口教会発行
『つきじ 百周年記念号』1978 築地カトリック教会発行

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