M-3 創作空間「縄文の丘」を訪ねて
創作空間「縄文の丘」、それは夢のような世界でした。
研究と蒐集、作品制作と鑑賞、そしてその時空を超えた空間での生活!
先日訪ねた戸村正己・真理子ご夫妻のお家とお庭は、今思い返すと真夏の陽光に広がる白昼夢のような光景でした。 戸村正己さんは少年のころから縄文土器に感動、加曽利貝塚博物館で故・新井司郎氏に土器製作を学び、若くして亡くなられた師の遺志を引き継ぎ「独自の土器づくり」活動を展開、縄文びとが土器づくりに込めた思いを伝えられておられるとのこと。
特に戸村さん制作の「祈りの人形(ひとがた)」縄文土偶には、戸村邸を訪ねた多くの方々が感動されているとの情報で、ぜひ一度訪ねてみたいと声も多くあり、八千代栗谷遺跡研究会のイベントとして企画した訪問でした。
千葉県八街市用草の「縄文の丘」と訪ねたのは、2012年8月5日。
ご一緒したのは考古学好きと、土器つくりを趣味としているメンバーの総勢23名です。
6台の車を連ねて下総台地の畑道から細い林道を抜けると、ロッジ風の戸村さんの家に到着。
広い前庭の片隅に塚があり、無造作に土器が半ば土に埋もれています。
戸村さんから復元土器を自然に任せ、風化する過程を観察されているという説明を受け、発掘現場に立ち会ったような臨場感のある気分のまま、お家の中に誘われ、玄関を入ると、床下がガラス張りになっていて、地中にあるがごとく、注口土器などの実資料が展示されています。
中のホールは、日本列島で発掘された主だった土偶が、完全な姿で復元され、壁面には縄文後期の山形土偶からミミズク土偶へうつり変わっていく過程が一目瞭然にわかるよう展示されていました。
奥の書斎は、北日本の晩期を象徴する遮光器土偶の世界、戸村さんはその棚から、姿はミミズク型で中空の大型土偶を手にされて、大型の遮光器土偶の特徴の中空にする技法がミミズク型土偶に影響していく現象など丁寧に説明くださいました。
ホールから続くテラスには、中部地方の陽気な丸顔が微笑む深鉢など、ダイナミックで手の込んだ中期勝坂式の大きな深鉢が並んでいます。
そして遠方に目を移すと、野山のお花畑をイメージする花壇の周りに、ヴィーナス風の逸品の土偶が、木立や草花を背景にたたずんでいました。
その棚の下には的確な解説がついていて、下半身が失われて出土した土偶をどのように考証し想定して復元したのか、その努力の過程もわかります。
この女神たちに誘われて森の中に入ると、なんと竪穴住居が復元されています。
「縄文の丘」の「迎賓館」だそうで、中は、炉を中心に意外と快適で、落ち着きのある空間でした。
森の中で八街名物のスイカをふるまわれ、まるで林間学校のキャンプのようにはしゃいだ後、母屋に戻ると、和室にも囲炉裏が切ってあって、自在鍵には、千歳市美々遺跡の動物形土製品を模した横木が宙を飛ぶ海獣のような姿で取り付けられているのがユーモラスです。
一巡して食堂で飲み物をいただき、カウンターに目を転ずると、縄文土器を模した杯、そしてどこかで見たようなキャンディ入れ。 真脇遺跡の鳥形突起付土器がモデルの、奥様の真理子さんの作品。
(鳥形突起付土器は⇒ 「縄文グッズin八千代 」J-4をご覧ください)
さりげなく縄文土器が日常の器として使われている生活。
アトリエであり、私設ミュージアムであり、研究室であるこの家は、 まずは第一に戸村さんご夫妻の生活するうらやましい限りのマイホームなのです。
最後に、玄関横の階段下につつましく置かれた「子どもを抱く土偶」(東京都宮田遺跡出土・縄文中期)に目が留まりました。
欠損した母像の顔が見事に復元されています。
完全な姿で出土することがほとんどない土偶たち、その姿を現代によみがえらせるには、科学的な考証がとても大事ですが、さらに、時代考証だけでは表現できない縄文びとの心と祈りをどのように復元し伝えるか。
その課題にも、大胆に挑戦される戸村さんの技と才能に感動するばかりでした。
そしてこの復元された小さな母子像を通し、太古の母の思いと祈りが、時空を超えていまの私たちにも届いたということにも、戸村さんご夫妻に感謝したいと思います。
この続きの画像は、マイフォトでご覧ください。 ⇒2012.08.05「縄文の丘」の祈りの世界
「やちくりけんブログ」⇒ 「縄文の丘」戸村正巳氏邸&印旛郡市埋蔵文化財センターその他の見学と学習会の報告
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