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2012年4月30日 (月)

Z-2 利根町の如意輪観音像を刻む最古の十九夜塔

 前回のZ-1で、千葉県で最古の銘の十九夜塔は承応元年(1652)の香取市石納の塔、次いで明暦元年(1655)の芝山町加茂普賢院の六地蔵立像石幢、そして万治2年(1659)山武市本須賀の大正寺の宝篋印塔と書きました。
 石幢や宝篋印塔はこの当時もっとも手の込んだ形態の石造物であり、また香取市石納の塔もまたそのような宝篋印塔であったと私は思います。

 寛文年間になると、十九夜塔がさかんに造られていきます。
 その数、榎本正三氏の『女人哀歓』によれば、旧印西町だけでも219基を数える十九夜塔のうち14基は寛文12年までに建てられています。

 また最新の資料(*1.*2)から、寛文10年(1670)までの初期十九夜塔造立数を、市町村別(2005年までの旧市町村名)に数えてみると、

120202_2 千葉県側では 旧印西市 12基
           旧佐原市 6基
           旧印旛村 6基
           我孫子市 5基
 茨城県側では、利根町  10基
           伊奈町   7基
           取手市   6基
           藤代町    3基
           鹿嶋市   3基
の建立が見られます。       (↑栄橋から利根川)

  *1.中上敬一「茨城県の十九夜念仏塔」『茨城の民俗』第44号2005
  *2.石田年子「血盆経と下総の十九夜念仏講」『房総石造文化財研究会 第17回石仏入門講座石仏入門講座 講演資料』2011.


 これらの多くは、如意輪観音像を浮き彫りにした舟型光背の石塔で、「十九夜念仏」あるいは「十九夜供養」の銘がある、あるいは建立日に「十九日」と明記されています。

 利根川とその支流の小貝川・手賀川・長門川・利根常陸川の流入地点が、早い段階から十九夜塔普及の地域となっているようですが、特に利根川をはさみ、現在の県道4号・千葉竜ケ崎線の栄橋、かつての布川の渡しのあたりは、その後急速に広がっていた十九夜塔の原点のひとつと考えられます。

布川の徳満寺の十九夜塔を訪ねて

 120202_130s江戸期、女人講の主流となる十九夜講の主尊がなぜ如意輪観音なのかはまだ私にはわかりませんが、『女人哀歓』ほか、さまざまな報告では、如意輪観音像を刻んだ十九夜塔の初出は、万治元年の茨城県利根町布川徳満寺の板碑型塔とされています。

 千葉県側から千葉竜ケ崎線の栄橋を渡ると、すぐ左手の高台の森が徳満寺です。
 この寺院の参道と山門は、利根川の河畔から台地へ直登する階段を上ったのでしょうが、河川改修により県道の栄橋北詰をすぐに左折します。

 今は、ここが正門で、左に「布川城跡」の碑が立っています。(↑)

111012_004s 布川城は南北朝時代に豊島左兵衛尉頼貞により築かれ、関ヶ原の戦い後に廃城なるまで、利根川水運の要衝として機能し、豊島氏が去った後には、徳満寺が今の門前の場所から本丸跡に移動してきたそうです。

 正門を入ってすぐ左、囲いの中に2基の石塔があり、解説板が設けられています。
 左が笠部を失い塔身のみが残された「時念仏塔」で、この塔の建立は元禄14年(1701)ですが、111012_0052s_2「当時の時念仏講の開始は寛永元年(1624)10月23日」と解説板に記されています。
 右が、一目見たかった万治元年(1658)銘の十九夜塔。 
 下部に蓮華の浮彫を配した江戸前期の板碑型の一般的石塔ですので、「日本最古の十九夜塔」と解説板になければ、見落としてしまうでしょう。 (⇒画像をクリック)
 碑面には、蓮華座の上に、右手に宝珠、左手に未敷蓮華を持つ観音坐像が線彫りされ、「十九夜念佛一結之施主(等)三十(余)人」「万治元戊戌年十月十九日」と銘が刻まれています。

 徳満寺は、元禄時代に第7世住職が身丈約2.2mの木造地蔵菩薩立像を京都の六派羅密寺より勧請、「子育延命地蔵」として参拝客を集めました。赤松宗旦の『利根川図誌』にも記されたように、年に1回の開帳の際門前に「地蔵市」が立つなど、庶民で賑わう寺院でした。

 また、本堂廊下に掲げられている「間引き絵馬」は、柳田國男が思春期にこれを見て衝撃を受け、農政学、後に民俗学を志したというものです。Photo_3
 子育て祈願でにぎわう寺院に「間引きを戒める」絵馬が奉納されているというのは、秩父札所の菊水寺のほか、沼南町弘誓院や長南町笠森寺にもあります。

 江戸後半期、子育て意識が家の存続繁栄と不可分な「家の子」重視であったことは、また同時に家計のためには「子返し」も辞さないという少子化社会の時代でもありました。(参考:太田素子『子宝と子返し 近世農村の家族生活と子育て』)
 時の施政者や宗教者の、農村社会のこの少子化志向に対する危機感が、『小供そだてつる教え草』などの「教諭書」や『子孫繁栄手引書』による間引き図の絵馬の掲示につながったと私は考えますが、殺生の罪を産婦に科すこの絵馬は恐ろしく、あまり気持ちのよいものではありません。

 


布川神社の十九夜塔を訪ねて

0 さて、『女人哀歓』によれば、徳満寺の万治元年の十九夜塔に連続して、すぐ近くの布川神社にも翌万治2年(1659)銘の如意輪観音の線彫りした板碑型「十九夜念仏」塔があるとのこと。

 こちらも4月下旬に訪ねてみると、社殿は利根川を見下ろす高い台地上にあり、急な石段の参道がついていて、その参道の右手、台地の裾の草むらの中に石塔が数基、120419_0122_2その中に徳満寺の十九夜塔によく似た板碑型の石塔がありました。1672s

  線彫りの如意輪観音像は六臂で、下に「十九夜念佛一結施主/五十六人為二世安楽也/干時万治二己亥稔/十月十九日敬白」の銘文があります 
 その左には、像容から寛文年間と思われる如意輪観音像塔と、寛文12年の「時念佛一結衆」銘の風格ある大日如来の石仏が草に埋まって並んでいます。

 急な階段を登り、社殿をのぞくと、利根町の指定文化財になっている慶応元年(1865)玉蛾作の神功皇后と武内宿祢」など奉納絵馬が掲げてありました。
S 江戸時代、神功皇后は安産子育ての守り神として信仰されていて、その像は、五月幟や絵馬などにもよく描かれています。

 布川神社は鎌倉時代に豊島摂津守が建立、祭神は、久々能智(クグヌチ)之命。イザナギ、イザナミ二神が生んだ木の精霊。
 関東では珍しい祭神で、 別当は徳満寺。その記録には享保19年(1734)正一位布川大明神とあり、明治維新の際、つまり明治元年(1868)布川神社と改称したとのことです。

 いずれにせよ、万治元年と2年銘の二つの板碑型石塔を持つ布川の地が、如意輪観音像をビジュアルに表現した十九夜塔の原点であることは確かでしょう。

 一方、「Z-1  千葉県最古の十九夜塔を訪ねて」で千葉県の初期の十九夜塔を紹介しましたが、明暦元年(1655)銘の六地蔵立像石幢の地である芝山町と、その近接地、万治2年(1659)銘の宝篋印塔のある山武市の地域もまた、十九夜塔発祥地の一つとして注目されます。

 九十九里海岸沿いの山武市域では、万治3年(1660)銘の光背型の浮彫如意輪観音像塔に「奉唱十九夜念佛・・」の銘がある供養塔が建立。
 その後、常総各地では寛文年間から、この如意輪観音浮彫像の十九塔が一斉に建てつづけられ、庚申塔と並んで主要な石造物となりました。

 次回も利根町で、時念仏塔と関連する石塔を追ってみます。

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コメント

 9月7日(日曜日)まで柏市の柏市郷土資料展示室で開催されている「幽霊とものゝけ ~柏の怖い絵見に来ませんか~」では、徳満寺の「間引きの絵馬」が展示されています。間近で見られますので、関心のある方は見学をお勧めします。
 そのほかに柏市名戸ヶ谷にある法林寺が所蔵する幽霊画も多数展示されていて季節的にぴったりです。

投稿: T | 2014年7月12日 (土) 13:02

お知らせありがとうございます。
徳満寺の「間引きの絵馬」は、ぜひ拝見したいですね。

投稿: さわらびY | 2014年7月13日 (日) 18:51

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