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2012年3月27日 (火)

Z-1 千葉県最古の十九夜塔を訪ねて

十九夜塔とその分布

1677_2 女性が寺や当番の家に集まって、如意輪観音(多くは画像)の前で経や和讃を唱え、飲食する講を「十九夜講」、その講が建立する石塔を「十九夜塔」といい、主に如意輪観音像か「十九夜」の文字が刻まれています。 

                   (香取市八筋川甲・宝蔵寺の十九夜塔 延宝5年⇒)

 中上敬一氏の2005年の報告*では、
栃木県が2702基、茨城県が1672基、福島県が1449基、
千葉県が1175基、群馬県が142基、埼玉県が108基とのことです。(*『茨城の民俗』第44号2005)
 また、石田年子さんが昨年(2011)房総石造文化財研究会主催の第17回石仏入門講座で発表した最新の集計では、千葉県で1997基がリストアップされていて、各市町村の悉皆調査が進めば、もっと増えることが予想されます。

 私の調査エリアでは、特に利根川下流域を中心に、「香取の海」といわれる霞ヶ浦から印旛沼・手賀沼、そしてこの湖沼群から遡上する河川沿岸の村々に特に濃厚に広がっているようです。

 利根川流域の千葉県側の十九夜塔については、印西市を中心に調査研究された榎本正三先生の『女人哀歓 利根川べりの女人信仰』に詳しく述べられています。
 私もこの本をたよりに印西市域の古い十九夜塔と子安塔を何度も訪ねて回りました。

 まずは、千葉県で一番古いといわれる十九夜塔を訪ね、さらにその成立に関わる石塔を茨城県側にも広げて考えてみたいと思います。


大震災後の香取市利根川北岸を行く

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 今年(2012年)1月、十九夜塔研究では千葉県でNo.1の石田年子さんから「千葉県で一番古い十九夜塔は、香取市石納の結佐大明神境内の石塔」という最新の情報を画像付きでお教えいただいて、すぐに現地へ行ってみました。

 石納の結佐大明神は、茨城県内に飛び地になったような利根川北岸にあり、前年の東日本大震災の液状化被災の著しい地域で、波打つ農道は寸断され、田圃は重機による復旧工事の真最中でした。

 「土木の風景」 香取市石納地区の液状化対策現地調査

 明治初期の迅速測図に現在の水系のラインを重ねた地図を「歴史的農業景観閲覧システム」で見てみました。

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 120125_045_2県境であった利根川は、かつてこの神社の北側を屈曲して流れていて、現在大きく液状化しているところは、その利根川の旧河道を埋めた土地のようです。

 すぐそばに真言宗豊山派の観照院があり、明治9年にここに石納小学校が開校されていますので、かつては水郷の中核的な村落であったと思われますが、その後、村の東南半分は、直線化された利根川の流路になり、移転を余儀なくされたことでしょう。

 さて、訪ねた石納の結佐大明神は、水郷の小さな神社ですが、真新しい鳥居など、震災被災後の整備もされて、社殿の背後の石塔群もきれいに修復されていました。

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千葉県初出の十九夜塔=石納の結佐大明神の塔は「宝篋印塔」?

 石田さんから教えていただいた千葉県最古の十九夜塔は、石塔群の片隅にある不思議な石塔でした。

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1652 不釣り合いな破風付の石祠用の屋根が載っていますが、右手に積まれた部材にある宝篋印塔の笠部が載ると思われることから、江戸初期の宝篋印塔が元の形だったのでしょう。
 基礎部には「承応元年(1652)壬辰年/十九夜侍之供養/十二月十九日」、中段の塔身部に梵字「キリーク」が刻まれています。
 キリークは阿弥陀如来・千手観音も表しますが、この場合はおそらく如意輪観音だと思われます。

 その他、
  承応4年(1655) 「大日念仏」板碑型文字塔
  寛文11年(1671) 「廿日待」 宝篋印塔
  120125_014貞享3年(1686) 「二十三夜」 板碑型文字塔
  元禄5年(1692) 「二十六夜」 勢至菩薩像塔
  宝永4 年(1707) 「二十一夜」 如意輪観音像塔
  延享3年(1746) 「十七夜」 如意輪観音像塔
   寛政11年(1799) 「淡嶋・十九夜」 虚空蔵像塔(⇒)
など全部で16基あります。

 

 うち十九夜塔と思われるのは、この承応元年銘の石塔と、虚空蔵像塔のほか、板碑型文字塔と如意輪像塔が各1基の計4基です。
 


 さらに、隣接する観照院には文化7年(1810)の「十五夜」子安像塔(↓)がありました。1810_15_2

 江戸前期からの念仏塔・月待塔・子安塔が、こんなに幅広くバラエティ豊かに並んでいるのは、興味深いことです。

 このように供養の対象も主尊の像容も石塔の形もさまざまな形態を試行する姿は、十九夜塔成立の揺籃(物事が発展する初めの時期や場所)を示すものなのでしょう。

 その他、香取市の利根川北岸では、八筋川甲・宝蔵寺の延宝5年(1677)如意輪観音像の十九夜塔、野間谷原・水神社の元禄16年(1703)板碑型の「十九夜・二十三夜」塔を見ることができました。

 香取市の旧佐原市域の子安像塔については、『佐原市石造物目録』2002を参考にかなり丁寧に見に行ったつもりでしたが、同じ千葉県内でも利根川の北側については意外に盲点であったと感じました。

千葉県で次に古い十九夜塔は

 1655ところで、この石納の塔に次ぐ十九夜塔については、明暦元年(1655)8月造立の芝山町加茂普賢院の六地蔵立像石幢(⇒)と、万治2年(1659)山武市本須賀の大正寺の宝篋印塔が、以前から報告されています。

 実は、この記事を書く前に芝山町と山武市へ行く予定でしたが、3月9日、左足甲の骨を折る怪我をしてしまい、現地調査をずっと先延ばしせざるをえなくなりました。

 沖本博氏の 「千葉県の十九夜塔」 『日本の石仏』No.49(1989)と、千葉県山武市公式ホームページから借用した画像でご紹介することをどうかお許しください。

 芝山町加茂の石幢には「奉新造立石地蔵十九夜待」の銘があり、中上氏の表「千葉県の十九夜念仏塔年表」*では千葉県内初出の十九夜塔になっていました。

 1659

 三番目の山武市本須賀の宝篋印塔(⇒)には、「上総国山辺庄武射郡南郷本須賀村 奉唱満十九夜念佛二世安隠之所 萬治二年己亥三月十九日 結衆七十五人敬白」と銘が刻まれて、山武市ホームページにあるように、かつては県内初出とされていました。

 香取市石納の承応元年の十九夜塔も、このような形の宝篋印塔だった想像できます。

 さて、これより古い十九夜塔は、というと、やはり利根川流域から北側に広がるようです。 

 続きの「十九夜塔の源流-2」は、県境を超えて茨城県の石塔を訪ねてみたいと思います。

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コメント

What a stuff of un-ambiguity and preserveness of precious familiarity on the topic of unexpected emotions.

投稿: Beth | 2022年7月17日 (日) 16:19

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» 十九夜塔の建立式典 下高野 [まっくろクロスケ]
写真の上のカーソルがの場合はクリックすると拡大します。 千葉県八千代市下高野には2014年2月28日の時点において子安観音あるいは如意輪観音が合わせて31基が建てられている場所があります。観音像の台座に女人講中と書かれていることでわかるように、すべて「十九夜講の石碑」なのです。以降、「十九夜講の石碑」は十九夜塔と呼ばさせていただきます。 十九夜講は、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、念仏などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払... [続きを読む]

受信: 2014年3月 8日 (土) 08:18

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