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2010年12月 5日 (日)

K-24 女性名の石造物あれこれ(香取市吉原の子安塔ほか)

101104_012  この秋9月1日発行の房総石造文化財研究会の『会報』第107号に米谷博氏の「石造物に刻まれた女性の名前」という記事が載っていました。
 香取市吉原地区の善福寺門前に立つ子安塔、その塔に彫られた15名の女性名に注目し、「おりえ・おさん」などの呼称について、また江戸時代の村社会の実態について考察を試みられておられます。

              ⇒香取市吉原の子安塔

 私も以前から、女性名連記の石塔に興味があり、このブログでも5年前に「K-1女性名の銘を読む-高津の十九夜塔の調査から」と、「K-4 女人名の刻まれた船橋市不動院の六面石幢」の記事を書きました。

ブログで紹介した高津の十九夜塔は、如意輪観音像を浮彫りした延宝2年(1674)造立の供養塔で、衣の裾と台座の部分に50名の女性名が彫りこまれています。 
 
 このほか、明治6年までの八千代市内の十九夜・子安塔などの供養塔には、女性名の刻まれた石塔が12基あり、女性の個人名連記は、この地域で特に珍しいというものでもなさそうです。
 名前の表記の仕方は、「おまち」「おくに」など「お」を付けた通称のほか、「まち」「とめ」「そめ」など「お」を付けないもの、「ヲハツ」などカタカナ表記のもの、出家した尼と思われる「妙蓮」「春香」などの法名も見受けられました。

・延宝2年(1674 ) 高津 観音寺         如意輪観音坐像 光背型  十九夜塔    春香・おまち・・       
・元禄9年(1696) 吉橋 寺台公会堂    聖観音立像     光背型    十九夜塔   妙連・おとま・・・
・正徳5年(1715) 吉橋 高本 国蔵院   如意輪観音坐像 光背型    十九夜塔   おひめ・おたね・・
・享保元年(1716)村上 正覚院        地蔵菩薩立像 光背型     十五夜塔  おいわ・おつる・・
・享保11年(1726)村上 字立野台墓地  如意輪観音 光背型        十九夜塔  おけさ・おたね・・・
・元文元年(1736)村上 正覚院          如意輪観音 光背型         供養塔     ヲハツ・ヲトラ・・
・元文2年(1737) 村上 字浅間内墓地   如意輪観音坐像 光背型  十九夜塔  おくに・おせん・・
・元文5年(1740) 大和田新田 字庚塚   勢至菩薩立像   光背型   供養塔     おいわ・□和□・・
・文政4年(1821) 島田台 長唱寺      文字「子安大明神」角柱型  子安塔     おたけ・おきよ・・
・天保3年(1833) 大和田新田上八幡神社 子安観音坐像   光背型     子安塔     おいぬ・おりん・・
・嘉永2年(1849) 萱田町 長妙寺      鬼子母神坐像   光背型       子安塔     せき・たき・・ 
・明治4年(1871) 大和田新田 字八幡藪 如意輪観音坐像 光背型     十九夜塔   まち・とめ・・
・明治6年(1873) 勝田 円福寺        如意輪観音坐像 光背型     供養塔     おなか・おさわ・・ 1726_3

 1736 

 ↑ 元文元年(1736)村上 正覚院 供養塔   享保11年(1726)村上 立野台墓地 十九夜塔↑ 

所と造立目的を変えて、都内江戸川区の庚申塔を見てみると、下記の石塔に女性名連記があります。
 ちなみに江戸川以西では、女性だけの子安講はなく、男女ともに集う念仏講や庚申講が盛んだったようです。

・寛文5年 (1665) 上篠崎2丁目 無量寺 地蔵菩薩立像 光背型     庚申塔    (女子連名判読不明)
・寛文13年(1673) 江戸川3丁目 誠心寺 文字(願文) 板碑型   庚申塔       宗貞信女・おくに・・
・元禄10年(1697) 江戸川3丁目 誠心寺 青面金剛立像 笠付円柱型 庚申塔  おつま・貞□・・
・元禄15年(1702) 東小岩2丁目 善養寺 地蔵菩薩立像 光背型     庚申塔    おたけ・おさる・・
・享保9年 (1724)  篠崎町4丁目 商店前 青面金剛立像 駒型       庚申塔     おなつ・いぬ女・・

100512_007_2              ⇒寛文13年(1673)誠心寺 板碑型庚申塔

 K-1のコメントで下記のように書きました。
 「村の女性たちひとりひとりが現世と来世の安楽を祈願していたというそのころの時代背景が、石造物から推察できます。
 延宝2年(1674)造立の如意輪観音に先立つこれによく似た像容の十九夜塔として、佐倉市臼井台実蔵院の寛文9年(1669)の十九夜塔がありますが、なん人か男の方の名前も見られ、まだ念仏講が女性だけの講になる前の様子が伺えます。
 十九夜塔の寄進者銘を調べていくと、江戸中期になると、個人名が消え、江戸後期は子安講とその世話人として村の代表者(名主など)の名前が添えられるようになり、個人個人の信仰心での造立から、地域組織の慣習になっていくように思えます。」

 全体の傾向として江戸前期に多いとはいえ、八千代市内では、中期以降でも女性名連記の塔がありますので、100512_011女人講のあり方とその地域の特性について個別に分析する必要があるでしょう。

 さて、香取市吉原の善福寺の子安塔ですが、私も11月4日、現地へ探しに行きました。
  米谷博氏が「年号が刻まれていないのが、残念であるが、観音のしっかりした像容が残されている」と書かれているこの子安塔、その像容の特徴から造立年代にせまってみたいと思います。

               ⇒元禄10年(1697)誠心寺  笠付円柱型庚申塔

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