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2010年11月21日 (日)

K-23 北総の子安像塔発祥の地=酒々井町の双体道祖神

酒々井町の双体道祖神を訪ねて

 11月14日(日)は房総石造文化財研究会の石仏見学会。
 今回も町田茂先生のご案内で、酒々井町の双体道祖神を中心に、本佐倉城など千葉氏ゆかりの史跡や寺社を巡り歩いてきました。
 酒々井町には、双体道祖神が、根古谷、尾上、新堀、中川、上郷、下岩橋、柏木の7か所8基、隣接する佐倉市側の大佐倉浜宿の1基を含めると、計9基が地域的にまとまって祀られています。
 4日後の11月18日も、コースに入っていなかった上岩橋 菊賀神社の1基を見に行きましたので、以前に子安塔探索で出会った双体道祖神を含め、9基の双体道祖神を実際に見ることができました。
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        大佐倉浜宿の双体道祖神(本佐倉城址内 建立年 不明)

 これらの双体道祖神は、男女寄りそう姿の20~60cm位の比較的小さな丸彫り石像でした。
 後側の像の片手が前の像の肩にかけられ、その手を前の像の手が握っています。
 双方の方手は一本の杖を仲よく握り、後の神像の足は、一つしか見えないのが特徴です。
  神は人と異なった存在なので「異形」で表すこと、また「ドウロクジンは足が悪くて、三本脚」という伝承を表現したものなのでしょう。090330_012

 ご案内いただいた町田茂先生は「この地の道祖神は二人が一本の杖に身を託して、夫は片足の妻を労わりつつ西方浄土への道を辿って行くような、まことに陰気な姿である」との印象を、そして、不慮の死を遂げた夫婦などの比翼塚か疱瘡神のようなものだったのでは、という疑問を述べられ、「しかし現状では一般的に道祖神という説が有力である」と結論づけておられました。
 不自由な足で後ろから肩を借りて寄りそう方が女神像に見えますが、どちらが男女かははっきりしません。
 私には、労わりあう老夫婦とも、また年齢を超越した夫婦神のようにも思えます。

                                          ↑ 新堀の双体道祖神( 宝暦 8年   1758)
   

090330koyasu子安神と道祖神の関係

 一般に双体道祖神は、縁結び、夫婦和合、子授けの神様として本来の道祖神信仰が変形し、性神的要素が多分に含まれて信仰されてきたもので、長野、山梨、静岡、神奈川、群馬の五県に偏在して分布し、他の府県には例がないといわれています。
 最近の石仏ブームで、長野の道祖神を模した新しいしゃれた石仏も時折、見られますが、江戸中期に遡る双体道祖神がまとまってあるのは千葉県内でもここだけ。
 しかも旧家の氏神をとして祀る尾上を除き、ほとんどがムラの共同体の信仰祭祀対象として今も大切に祀られています。

                           ↑ 新堀の子安塔(浮彫り子安像   安永 5年   1776)       

 これらの道祖神を巡って、地図に場所をマークし、またその建立年代や立地をよく見てみると、なんと北総で最も古くその像容成立に関わる子安塔と密接に関係して存在することもわかりました。
 特に、尾上の享保18年(1733)と宝暦1年(1751)の2基の子安塔のある住吉神社の階段の下の祠には宝暦5年(1755)の双体道祖神が祀られ、また新堀(酒々井622付近)の三差路には、安永5年(1776)の如意輪観音像と宝暦2年(1752)の子安像塔の隣に、宝暦8年(1757)の双体道祖神がありました。
 このほかの双体道祖神の近くにも、江戸中期~後期の子安像塔や子安神石祠がセットのように存在するのです。

神の姿を石に彫ること

 江戸中期~後期の子安像塔は、多いといわれる印旛沼周辺でも貴重なもので、そうたくさんあるわけではありません。
 まして双体道祖神は稀有なものですから、偶然共存しているとは考えにくく、18世紀後半この地域では、同じ民俗信仰から生じたと思われるのです。
 その背景には、この地には北条氏滅亡の際に帰農した千葉氏・原氏の遺臣の農家が多く、その家系の存続を第一に願う子孫繁栄の意識がムラ全体で高かったのではないかと考えます。
 もうひとつは、これまで石祠に神名を彫りこむだけだった祭神を、身近な形ある神像に表現したいと思う心が、軌を一にしてオリジナルな偶像、すなわち子安塔像と双体道祖神像を創造したと考えうることです。

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          下岩橋 三叉路の双体道祖神(建立年不明)

 「子安大明神」としてこの地域で生まれた子安像塔は、石祠内像であること、一児または二児を育児する姿であること、伝統的な如意輪観音の思惟の姿勢などの特徴を断片的に融合し、試行錯誤の過程を経ながら、印旛沼東岸から北総全体に伝播し広がっていきました。
 双体道祖神は、寛文のころにはあったといわれる神奈川県などの僧形合掌型の神像の姿を風聞で知り、「三本脚のドウロクジン」伝承を独自に加え、酒々井町地域独特の像容を確立したと想像されますが、残念ながら他地域までは広まらなかったようです。

 いずれにしても、子孫繁栄の神に、親しみあるひとの形を与えたということは、この時代の民間信仰として、画期的なことであったと思うのです。

酒々井町の子安像と道祖神(像容)    所在地         和暦      西暦

道祖神(丸彫り双体像)         柏木 七社神社         享和 2   1802
道祖神(丸彫り双体像)         柏木 七社神社       昭和 8   1933
子安石祠(丸彫り子安像)      柏木 新光寺墓地      元文 5   1740
子安石祠(浮彫り子安像)       下岩橋  大仏頂寺     延享 1   1744
道祖神(丸彫り双体像)         下岩橋  三叉路        不明
子安石祠(浮彫り子安像)       伊篠 白幡神社         明和 7   1770
道祖神石祠(文字)           伊篠 白幡神社        文政 13  1830
子安石祠(文字「子安大明神」)   今倉新田 松島神社   享保 21  1736
子安塔(浮彫り子安像)        今倉新田 松島神社    文化 11  1814
子安塔(浮彫り子安像)        上岩橋 馬頭観音堂    嘉永 5   1852
子安塔(浮彫り子安像)        上岩橋 大鷲神社        明治 14  1881
子安石祠(文字「子安大明神」)   上岩橋 妙楽寺         宝暦 12  1762
子安塔(浮彫り子安像)        上岩橋 妙楽寺        文化 3   1806
子安塔(浮彫り子安像)        上岩橋 長福寺墓地     文化 2   1805
道祖神(丸彫り双体像)        上岩橋 菊賀神社      不明
道祖神石祠(文字)              上岩橋 駒形神社      文政 5   1822
子安塔(浮彫り子安像)        上岩橋 路傍                 大正 13  1924
子安塔(浮彫り子安像)        中川 西蔵院                 文化 15  1818
道祖神(丸彫り双体像)       中川 水神社                不明
子安塔(浮彫り子安像)       新堀(酒々井622)        安永 5   1776
子安塔(浮彫り如意輪像)     新堀(酒々井622)         宝暦 2   1752
道祖神(丸彫り双体像)       新堀(酒々井622)        宝暦 8   1758
子安塔(浮彫り子安像)       酒々井 朝日神社          宝暦 4   1754
道祖神石祠(文字)             酒々井 朝日神社          文化 2   1807
道祖神(丸彫り双体像)       大佐倉浜宿*        不明
子安石祠(浮彫り子安像)      大佐倉 麻賀多神社*     天明3 1783

子安塔(浮彫り子安像)        本佐倉 諏訪神社          天保3 1832
道祖神(丸彫り双体像)       本佐倉 根古谷           不明
子安塔(浮彫り子安像)       本佐倉 妙見社          文化 8   1811
子安石祠(文字「子安大明神」)  上本佐倉 神明大神社    天明 5   1785
子安塔(浮彫り子安像)       尾上 住吉神社奥       享保 18  1733
子安塔(浮彫り子安像)       尾上 住吉神社奥       宝暦 1   1751
道祖神(丸彫り双体像)       尾上 住吉神社前           宝暦 5   1755

*佐倉市

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コメント

はじめまして!先日私も酒々井町の石仏を廻ってきました。

投稿: usagi | 2012年8月30日 (木) 14:20

usagiさん
コメントありがとうございます。
酒々井町は、まだまだ新発見がありそう?!
でも厳しい残暑が続き、私の石仏探訪は、涼しくなる日をひたすら待ってばかりの毎日です。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2012年8月30日 (木) 23:11

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