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2010年11月 1日 (月)

K-22 白井市初出か! 「文化6年」建立の中木戸観音堂子安塔

 北総の子安像塔について、江戸時代末までの造立年銘のあるもの数百件をほぼ見終わり、そのうち江戸中期までの系譜と考察を『房総の石仏』20号に報告することができました。
 現在は、八千代市近辺の近代以降の子安塔を探し出し、その像容をカメラに収めています。

 幕末以降近代の子安塔は、前にも書いたように、石工の技術の乏しい駄作ばかり。
 加えてもろい石質のため損傷した無残な姿が多く、ややうんざりしていますが、最近は造立年が不明、または参考資料のデータに疑問のある子安塔の正しい造立年代を推定するのも面白く、新発見?も多々あります。
 先日、印西市と白井市を調査していて、発見したそのような事例を紹介します。

 『白井町石造物調査報告書』(白井市教育委員会発行)の所在地「中木戸観音堂」の項に、「明治27年(1894)銘の道標を兼ねた子安観音像」と、「大正6年(1917)造立の子安塔」のデータがのっています。
 101029_096_2時代も明治後半以降に下るので、調査を後回しにしていたのですが、訪ねてみると、諏訪神社に隣接した来迎寺別院という由緒ありそうな寺院跡のお堂でした。

 明治の道標を兼ねた子安塔は境内の道に面した角にあり、小さなお堂の前には、寛政7年(1795)の馬頭観音、そして元文4年(1739)銘の十九夜講の如意輪観音像と明和7年(1770)の地蔵像、「大正6年 」と報告書にある子安塔の3基がやや傾いたまま寄せて置かれています。
 
 江戸中期から女人講が続いていたようですが、問題は「大正6年」の子安塔(↓)の像容と特徴です。
  上部が欠損し、銘は光背の表面 に「六巳十一月吉日」と「講中」のみですが、子安像はきれいに残っていました。
 ヴェールのような長い垂髪と、右ひざを立て、上体をその方向に傾け、懐に抱いた嬰児を左手で支え、指をそろえた右手を腹部に当てるスタイル。千葉市旦谷町や下田町の子安像に類する明らかに千葉市域タイプの流れをくむ江戸後期の子安塔であると直感しました。
 さらに石質が安山岩、像容や光背表面に銘を刻む特徴からも、近代の作ではありません。
 「○○・・六年」、干支は「巳」。年表で見ると「大正6年」のほか、「文化6年(1809)」が「六巳」に該当します。

18096_3

 千葉市域タイプの子安像は、 「K-13 優品の系譜Ⅰ 八千代市林照院の子安塔像容のルーツ」で紹介しましたが、安永7年(1778)千葉市大宮町安楽寺の石祠型、光背型では天明6年(1786)旦谷町公民館の子安塔から、文化4年(1807)武石真蔵院の墓塔まで千葉市内のみ11基の同一系統の子安像が抽出できます。
 このほか欠損して造立年不明になっている子安像塔で天戸町福寿院 の「願主三人」銘の1基と、長沼町駒形観音堂の2基のうち1基も、像容から文化年代までのこのタイプと推定でき、千葉市内は合わせて13基となります。
 0分布は、千葉市東南の若葉区から市内を次第に北上して、市外では文化11年(1814)の八千代市米本林照院文化13年(1816)の成田市(旧下総町)大和田にもその系譜が確認できます。

 白井市中木戸の「六巳」年銘の子安塔を「文化6年(1809)」として、この系譜の中で検証してみると、像容や体裁がぴったりと一致し、また空白だった文化4~11年間の千葉市内と市外をつなぐ好位置を占めることが判明しました。

  さらに、懸案だった印西市泉集会所にある年不明の子安塔(→画像)も、白井市中木戸の「六巳」年銘の子安塔を「文化6年」にすることにより、文化年間の可能性が出てきました。

 千葉市域以外でこのタイプの子安塔像は、数は少ないですが、文化年間に印西市・白井市・八千代市にも3基存在し、習志野市屋敷天津神社の天保6年(1840)など、天保以降さまざまに変化する印旛沼周辺の子安像の像容の基本的なパターンの一つになります。

 これまで、白井市の子安像塔の出現は遅く、今井青年館の文政13年(1830)銘の石祠内の浮彫が初出とされてきましたが、中木戸の子安塔を文化6年にすることにより、1830八千代市の文化11年より5年も早く子安像塔が現れることもわかりました。
  しかも、この文政13年の石祠(→)内の像もよく見ると、このタイプの流れをくむ像容です。

 各市町村単位の石造物悉皆調査データは、調査に必須のもので、まさに先人の功績のおかげで私の調査も可能なのですが、やはり実際に現場で実物をよく観察して、既存データを見直してみることがいかに大事かと感じた次第です。

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