Ⅰ-14 2010年夏の大膳野南貝塚
今年(2010年)の2月、千葉市生涯学習センターでの千葉市遺跡発表会で、大膳野南貝塚の遺跡調査発表を聴いて、驚きました。
巨大な縄文貝塚の上に、古墳群と古代住居跡、中近世から近・現代の戦争遺跡(高射砲照空部隊)まで、遺跡が複合的に予想以上に積み重なっているとのこと。
ロビーには、古墳時代後期の方墳から出土した須恵器長頸壺、鉄剣・鉄鏃、水晶の切り子玉や、平安時代の墨書土器が展示され、遺跡の重要性を物語っていました。 (↑画像)
平成21年度の調査は、貝塚より上の層の遺跡調査にとどまり、3月の現地説明会*もその範囲で、貝塚本体の発掘は22年度4月からで、その結果は夏以降のお楽しみということでした。
*3月の現地説明会の様子、若い方の素敵なブログHarurora in dreamland∞に見つけました。 (古墳の石室・石棺の画像に、拍手!)
さてこの夏、8月7日、猛暑快晴の中開かれた大膳野南貝塚の現地説明会、ただただ驚きでした。 まず調査面積18270㎡ってこんなに広~い!
しかも大膳野南貝塚は、3方が大膳野北遺跡など遺跡群に囲まれ、東側斜面は、「村田川文化」とでもいったらよいのか、千葉市の原始~近代の遺跡のメッカ村田川の支谷の谷奥に位置しているのです。
そして、圧倒されたのは、発掘作業中の南貝層の厚さと広がりです。
貝層を構成する貝種も、場所や時代によって大きなハマグリや小さなイボキサゴなど、種類もいろいろ。
この貝層に守られて、数千年前の人やイノシシ、犬などの骨も多数現れてきていました。
その状況も、伸展葬の人骨、埋葬された犬、祭祀と思われるシカの頭骨の群列など、縄文時代の風習を推定できる状態がよく保たれて出土しています。
イノシシの骨 ⇒
遺跡全体にこのような大規模な貝層が、北・南・西の3か所に巡っていて、このうち西貝層はまだ、調査が手つかずの状態なのだそうです。
また発掘中の南側では、縄文前期(諸磯b式期)の住居跡(←画像)や炉穴、縄文後期(堀之内1式期)の大型住居跡(↓画像)などが見つかっていて、長い間集落を営み続けた遺跡の歴史の物語っています。
そのほか、縄文前期や後期の土器や石器などの遺物も大量に埋蔵されているようで、発掘中の現場のいたるところで顔をのぞかせています。
さて、この規模も大きく、内容も豊富な遺跡はこれからどうなるのでしょう。素人目で見ても、あと半年や一年間ぐらいで調査が終わるとは、思えないほどです。
千葉市の遺跡を歩く会のHPには、次のように書かれています。
大膳野南貝塚は、重要な遺跡として認識されており、2004年発行の調査報告書には「保存の措置を講ずるための協議が続けられている」(125頁)と書いてあった。
しかし大膳野南貝塚は、2007年、(独立行政法人)UR都市機構が分譲販売。
2009年、三菱地所が所有権を取得。
2009年2月現在、開発のための発掘調査が進行しており、消滅寸前である。
2009年4月の時点で日本考古学協会も問題を認識しており、関係委員が現地を見学している。
発掘でたくさんのことを知るおもしろさもありますが、何回かの現地説明会の感動と分厚い報告書を残すだけで、数千年の歴史の目に見えるかたちとその景観の記憶は、はかなく消えてしまうのでしょうか。
都市計画の中で、公園用地などに利用され残される遺跡と、元の地形すら誰も想像できない姿に変えられてしまう遺跡。
この大膳野南貝塚はどうなるのでしょう。
千葉市には大規模な貝塚がたくさんあるので、もう十分だという考えに立つのか、大貝塚が群としてある姿こそ貴重だととらえるか、行政の良識ある判断が試されているのだと思います。
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コメント
メールありがとうございます。
圧巻ですね!
いろいろ考えさせられるルポでした。
投稿: エドルネ | 2010年8月 9日 (月) 21:52