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2010年3月 9日 (火)

K-16 石祠にまつられた女神「子安大明神」像-Ⅱ

 k-10で「子を育む具象的な女神像を石祠に刻んだ子安神の姿は、中世の懸け仏はさておき、近世民衆神道の宗教史上画期的なことだと思います。」と書きました。
 1783 今回はk-7~k-10で書いた北総の石祠型子安像の続きです。

 印旛沼周辺の村々では、子安神像を刻む石祠が神社境内などに祀られていて、現在確認できたその数は、北総で14基になりました。
 しかも酒々井町柏木の子安像の入った石祠は、元文5年(1740)の銘。
 それまで子安神を祀る無銘または文字銘だけの石祠があちこちの神社に建てられていた江戸中期、石祠の中に具象的な母子像を彫りだすという子安塔の出現は、「1750年代に十九夜塔の如意輪観音像が変化し子安観音像ができた」という説よりも早い成立をうかがわせます。 (⇒右画像は大佐倉麻賀多神社境内の子安さま1783年)

 それからも幕末の慶応元年(1865)の松戸市金ヶ作八坂神社の子安神石祠まで、数的には多くありませんが、北総各地のムラの鎮守の境内に石祠型の子安塔が建てられていきます。
 1762 そして明治以降は、神仏分離の影響でしょうか、子安像を刻んだ石祠の造立はなくなって、あっても文字銘だけの石祠に戻ってしまい、同時に寺院やムラのお堂境内の十九夜講の如意輪観音像も、そのほとんどが現世利益的な子安観音像に入れ替わっていきます。  

 石祠内の子安像は、その時代流行の子安観音などの像を小さく縮小して丁寧に彫りこんだ像が多く、また大事に祀られてきたためおおむねその姿もきれいです。 (⇒右画像は成田市松崎 富宮神社境内 1762年)
 特に美しいのは、文化3年(1806)の印西市宮内鳥見神社の子安像(↓の画像)でしょう。

1806 石祠内の子安像の変化を追うと、その像容は下記のようにまさに流行の先端の意匠となっています。

A.2児子育て明神像(袖ヶ浦市百目木1691年)タイプ系=酒々井町柏木新光寺1740年

B.如意輪観音像の変形型=成田市松崎富宮神社1762年

C.半跏斜め右向きの千葉市型タイプ(千葉市旦谷町1786年)の系統=千葉市大宮町 安楽寺1778年 

D.聖観音型=印西市宮内鳥見神社1806年 (↑の画像) 

E.グラマータイプ(八千代市大和田円光院1861年)系=金ヶ作八坂神社1865年

 さて、石造文化財の分類の子安塔の数からみると、寺院や地区集会所に並ぶ近世後半から近代前半までの子安観音像が圧倒的に多いわけですが、それは連続して立塔するイシダテの風習をもつ地域のやや粗製のものが数量的に多く占めているからといえます。
 一方で1基か2基の子安塔を代々大切に祀っている地域もあり、精巧で優れた像容の子安塔は、むしろこういう地区に多く見られます。

 また、儀軌にない子安信仰の奉祀の仕方はさまざまですが、近世のムラでの祀り方はおそらくこうであったのでは思わせる事例を紹介します。

 これは成田市北須賀白幡神社境内の子安神社に祀られている3基の石造物です。

17821788_2
 簡単な覆屋の中の、右は天明2年(1782)の十九夜塔で像容は2児子育て明神像です。
 左は天明8年(1788)の伝統的な如意輪観音の十九夜塔。
 そして真ん中は、18世紀中葉と思われる無銘の石祠ですが、中には「子安神社奉射謹言」のお札が2枚祀られています。
 「奉射」はオビシャのこと。新春に神に奉仕する当番(頭役)の代替わりの儀式とナオライを行う行事で、まれに弓で的を射る儀式が残っている場合もあります。

 神社や寺院の境内、ムラの辻や集会所にある「子安神社」と称する神社は、ほとんどが木製の小さな祠です。
 その多くはお札かご幣か鏡、あるいは丸石や陰石をご神体として祀っていて、「子安大明神」などの文字銘のある石祠以外、石造物調査の網にかからないものが多く、また民俗調査でも最近はすたれてわからなくなっている事例が多いと思われます。
 この子安神社の場合、仏教的な如意輪観音、神道形式の石祠とお札、舟形光背に刻まれた子安明神像という3つの代表的な形式が併存しています。
 まさにこの姿は、近世の子安講や十九夜講など、庶民の神仏混淆の信仰形態を表しているといえるでしょう。

  北総における子安像のある石祠データ(=はタイプ 0.は上総)

 0. 元禄4年(1691) 袖ヶ浦市百目木子安神社=A 
 1. 元文5年(1740) 酒々井町柏木 新光寺墓地=A 
 2. 延享1年(1744) 酒々井町下岩橋大仏頂寺=A’
 181613_23. 宝暦12年(1762) 成田市松崎 富宮神社=B
 4. 明和7年(1770) 酒々井町伊篠白幡神社=A
 5. 安永7年(1778) 千葉市大宮町 安楽寺=C
 6. 天明3年(1783) 佐倉市大佐倉麻賀多神社=A
 7. 天明3年(1783) 成田市飯仲住吉神社=B
 8. 寛政8年(1796) 千葉市千葉寺瀧蔵神社=C
 9. 文化3年(1806) 印西市宮内鳥見神社=D
 10. 文化13年(1816) 千葉市加曽利町=D (⇒画像) 
 11. 文政7年(1824) 船橋市高根町神明社=D
 12. 天保1年(1830) 白井市今井青年館=A’
 13. 安政6年(1859) 鎌ヶ谷市軽井沢八幡神社=D
 14. 慶応1年(1865) 松戸市金ヶ作八坂神社=E

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