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2010年2月19日 (金)

K-15 ふくよかな母と子~八千代・白井・船橋の明治・大正期の子安塔

  北総において、S1877如意輪観音像の十九夜塔にかわって、子安観音像の具象的な像容を彫刻した子安塔を盛んに建て始めるのは、明治に入ってからです。
 その勢いは、明治6年以降特に著しく、講による「イシダテ」の風習のある地域では、天衣を翻し大きな蓮華を持って子供を抱く聖観音型の子安観音像が、定番のごとく建てられます。
  しかしこのころは、墓塔も庚申塔も三山碑も文字塔が主流。
 具象的な像を彫刻する技術はレベルダウンして久しく、心惹かれるような石仏に出会うことは御世辞にもほとんどありません。
 「イシダテ」の習俗も惰性となる時、その建てられる石塔もS1886駄作になってしまうのは仕方ないことかもしれません。

  そのような事例ばかりの中で、明治時代中ごろから大正年間に八千代市西部~白井市~船橋市東部の子安塔群に、実にほのぼのとしたふくよかな母子像が見られます。
  (名付けて「ふくよかタイプ子安像」というのはどうでしょう。)

私が実見して集成したこのタイプの子安像は次のリストの通りです。S1887_20

1. 船橋市八木が谷 長福寺 明治3年(1870)
2.白井市名内 東光院 明治10年(1877) (右1番目の画像)

3.八千代市麦丸 東福院 明治14年(1881)
4.鎌ヶ谷市軽井沢 八幡神社 明治16年(1883)
5.八千代市萱田町 薬師寺 明治16年(1883)
6.八千代市吉橋 花輪公会堂 明治18年(1885)
7.八千代市大和田新田上区 八幡神社 明治18年(1885)
8.八千代市吉橋 寺台公会堂 明治19年(1886)(右2番目の画像)

S19139.船橋市八木が谷 長福寺 明治19年(1886)
10.船橋市古作町熊野神社 明治20年(1887)(右3番目の画像)

11.八千代市萱田 長福寺 明治21年(1888)
12.八千代市米本 善福寺 明治23年(1890)
13.船橋市金堀町 竜蔵院 明治33年(1900)
14.船橋市古和釜町東光寺 明治35年(1902)
15.船橋市金堀町 竜蔵院 明治43年(1910)
16.白井市折立 来迎寺 明治45年(1912)
17.八千代市村上 辺田前公会堂 大正2年(1913)(右4番目の画像)

18.八千代市吉橋 寺台公会堂 大正3年(1914)
19S1917.船橋市八木が谷 長福寺 大正4年(1915)
20.船橋市古和釜町 東光寺 大正5年(1916)
21.船橋市金堀町 竜蔵院 大正6年(1917)(右5番目の画像)

22.船橋市米ヶ崎 無量寺 昭和2年(1927) (右6番目の画像)

23.八千代市高津 観音寺 昭和2年(1927)
24.八千代市村上 正覚院 昭和4年(1929)
25.八千代市大和田新田字庚塚 昭和9年(1934)(右7番目の画像)

 このタイプの初出は、船橋市八木が谷の長福寺の像で明治3年(1870)の作です。残念ながら保存状態は良くありません。
S1927 その次に現れるのは、白井市名内の東光院の小さなお堂に祀られている小ぶりの子安観音像で、白井市教育委員会の調査では、明治10年(1877)の作だそうです。
  船橋市古作町熊野神社に子安神として祀られている明治20年(1887)の像は、北総における子安塔分布の最西端に位置する像として貴重な像です。(私の子安塔集成リストでは、この西側、江戸川流域の旧村で子安塔建立の習俗は無いようです)
 
 このふくよかタイプの像は、仏像の名残の聖観音の持ちものの蓮華や如意輪観音の思惟のポーズもなく、近代という時代に適応した新しいデザインで、乳を無心に吸う丸々とした子と童女のようなあどけない表情の母の姿が特徴です。S1934_9
 母像の髪型は、被布のように長く垂らした髪を頭頂で双髷に結いあげ、リング状の宝冠を着けています。
 フリルのようなよだれかけをした子供の頭部が大きく強調され、それは大正2年(1913)八千代市村上の辺田前公会堂の子安塔で頂点に達します。

 富国強兵を背景に『産めよ増やせよ』の時代、宗教的な因習を排し、母子保健に力が注がれた時代でもありました。
 ふくよかで栄養がいきわたったような母子像はそんな時代の象徴でもあったのでしょう。
 このふくよかタイプの子安塔は、 昭和9年(1934)の八千代市大和田新田字庚塚の子安塔で終焉し、以後は戦争の時代を迎えるとともに、子安塔建塔を続けるムラも少数になります。

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コメント

船橋市との境の白井市復富ヶ沢光明寺の子安塔(明治21年1888)も典型的なこのタイプですね。
比較的狭い地域なので、同一の石工の作なのでしょうか。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2010年3月 5日 (金) 21:48

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