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2008年9月29日 (月)

F-4 わたしの「貝輪=楽器」論

 先日、馬場小室山遺跡研究会のワークショップで縄文人が好んで?身につけたという「貝輪」の製作をみんなで試してみました。⇒2008夏のワークショップ〔貝輪製作実験工房〕

080810_023_2  貝輪を、ベンケイガイを使って実際に作ってみると、いくつかの疑問点とともにいろいろなことがわかってきました。
 まずは、子供でもコツがわかれば、敲き石と砥石で上手に作ることは可能ですが、運・不運による失敗例がとても多いこと。特に、「細く・丸く」を追及するほど割れやすく失敗するということです。

 精巧な土製耳飾りや漆塗りの木製装身具に比べ、貝輪は、ベンケイガイでも他の貝でも装身具としては特に美しいわけではないのに、こんなに多大な労力をかけて縄文早期から弥生時代まで連綿と作られ続け、また北海道まで運ばれて愛用されたのはなぜなのでしょう。 

 ベンケイガイやゴホウラのサトウガイの貝輪の形の特徴を他の素材に移した腕輪として、縄文時代から土製腕輪が、さらに、弥生時代から古墳時代には銅釧や鍬形石、車輪石などが作られ、威信財・宝器へと発展していきますが、ただのリングではなく、ちょっといびつな貝輪の形へのこだわりが根強いことに不思議な気がします。

 縄文人の腕輪である「貝輪」は、福岡県の山鹿貝塚で、女性が貝輪を十数個も装着して葬られていたという発掘事例があります。大珠や鹿角製の杖なども伴っているので、この女性は「特別な地位」にいたといわれていますが、本当なのでしょうか。
 また、千葉県の古作(こさく)貝塚では、蓋つきの壺型土器に大小20個の貝輪が大事にしまわれた状態で見つかっています。
 祭りや特別なイベントの際に少女たちが身につけるための共同体の財産だったのでしょうか。

 080915_052_3 製作実験で、失敗作の山の中から、無事4個の貝輪が完成しました。
 この完成品を実際に腕にはめてみようをしましたが、私の手が通ったのは、4個のうち1個のみ。 でも、10歳の女の子の腕には4個とも入りました。
 このとき気づいたことは、2個目を装着したとき、チャリンと2個の貝輪が触れ合うきれいな澄んだ音が響いたことです。
 4個とも腕に通し、リズムをとって腕を上げ下げしてもらうと、シャカシャカシャカシャカシャン、シャカシャカシャンと、よい音色が実に心地よく、これはきっと踊りの際に身につける一種の楽器だったのではと思いました。

 音としては、風鈴、または短冊の形に切った竹や木の一端をひもで縛り合わせた民俗楽器の「びんざさら」に似ています。

 「ささら」は中世の田楽踊りになどで盛んに使われ、近世には、笛や太鼓の派手な楽器にとって代わられて衰退していきますが、踊り手が慣らす楽器として「ささら踊り」や盆踊りなどに根深く残っています。
 そして「ささら」の木片が隣の木片へと次々に衝撃を伝えるとき発する「シャ」という擦過音に近い打音は、きっと貝輪をたくさん着けた腕を振りながら踊る音と共通するように感じます。
 
 ただし、「ささら」は手に持って鳴らすもの。身に着けて踊って音を出す楽器の民俗事例はそう多くはありません。
 古墳から出土する鈴釧(すずくしろ)が最後でしょうか。
 石川県和田山古墳出土の鈴釧は、貝輪の形の腕輪に9個の鈴が銅で一体に鋳造されたもの。 大陸からもたらされた金属工芸のわざが、伝統的な貝輪に融合しています。
 鈴釧にしても、銅環の複数装着にしても、そしてそのルーツの貝輪にしても、それらを身につけて踊りながら鳴らされる音は、まさに神を呼び、魔を払う神秘的な響きであったことでしょう。

 貝輪は、アクセサリーとしてだけでなく、縄文の初めから、装着して踊る際の宗教的な楽器として機能したがゆえに、楽器・装身具から宝器へとその姿を他の素材に移しながら、その形は古墳時代にいたるまで珍重されてきました。
 貝輪のもつ「楽器」=魔力の記憶は、いつしか音を失っても貝輪の形にひそかに受け継がれてきたのだと思います。

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