« I-11 幻?の環濠集落・田原窪遺跡 | トップページ | J-4 ヲサル山遺跡の注口舟形土器の不思議 »

2007年10月28日 (日)

F-1 長い頸の「壺G」の謎

071027_084_5   先日、国立歴史民俗博物館で企画展「長岡京遷都-桓武と激動の時代-」を見てきました。
 その中で、注目したのは、最後のほうに展示されていた「壺G」という地味な須恵器です。
 壺Gは8世紀末から9世紀初頭に静岡県の花坂島橋窯と助宗窯で生産された長頸壺のことで、企画の主旨としては、「特異な形式をもつ壺Gの移動に代表される物流の進展」を示し、長岡京とそのころの東北支配の拠点地と東日本で多く出土していることを強調していました。
 私がとても興味をもったのは、武蔵国府などのほか、佐倉市や酒々井町と並んで、八千代市の村上込の内遺跡など身近な古代集落からも出土した壺Gの展示、そして「壺G」と呼ばれる不思議な名前と、展示プロジェクトの一員の山中章氏の図録解説にあった「堅魚煮汁容器説・水筒説・徳利説・花瓶(ケビョウ)説など諸説あって定まらない」というその用途の謎でした。
 私は花瓶説が一番しっくりするように感じられましたが、山中氏の解説では「自立しにくい製品が多く、ぶら下げて使用したと考えられる」とのこと。(実際に見てみるとそんなことはないと思うけど・・)

 そして、壺Gの本場、静岡県に行くことでもあったら気にとめて見てみようと思っていた矢先、偶然にも壺Gの研究をされている佐野五十三氏(静岡県埋蔵文化財調査研究所)に実物を見せていただきながらお話を聞く機会に巡りあいました。

071027_083  まず「壺G」という名は、奈良文化財研究所が壺Aからアルファベット順につけたちょっと珍しい須恵器壺の一つだということ。(なあ~だ。そうだったのか)
 形は太型から中細~細型まで、ちょっとだけ型式変化するようですが、いずれも高さ20㎝位の細長い形で頸が長く、堅牢で優雅な形だが作りは雑のようです。
 分布は、平城・長岡・平安京の旧都から東海・関東に多く分布し、東北の数か所の城や柵でも見つかっています。
 わが八千代市では、村上込の内遺跡のほか、井戸向、北海道遺跡など萱田の集落から出土しています。

 さてその用途ですが、佐野五十三氏の説は仏教用具としての花瓶説。
 そういえば、私は2004年9月、古代の十一面観音像に惹かれて、滋賀県や若狭の観音霊場を巡りたずねました。その時拝観した渡岸寺十一面観音羽賀寺の十一面観音の持つ花瓶が印象的でしたので、仏像の持つ花瓶に着目した佐野さんの説にはとても納得しています。

 佐野さんは千葉県袖ヶ浦市の遠寺原遺跡、群馬県十三宝遺跡のなどの仏教施設遺構からの出土例から、「行基などによる仏教の東国布教」にも関連付けておられます。
 そういえば、八千代市の萱田遺跡群では瓦塔や奈良三彩の小壷や小金銅仏、そして「寺」「仏」の墨書土器など仏教関連の遺物も多く出土しています。
 壺Gに花一輪添えて仏前に供えていた村の人々。寺といってもささやかなお堂だったかもしれませんが、少しばかり古代の村の姿を豊かに想像させてくれる一品ですね。

 さらに壺Gについては、なぜ産地限定で短命だったのか、東日本に分布が偏るのかなど、謎が残るようですが、今後の検討に期待しましょう。

写真は、静岡県の寺家前遺跡(上)と川合遺跡(下)出土の壺G (筆者撮影)
十一面観音像は、秘仏のため撮影禁止ですので、各自治体のHP画像に許可を得てリンクしています。

|

« I-11 幻?の環濠集落・田原窪遺跡 | トップページ | J-4 ヲサル山遺跡の注口舟形土器の不思議 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: F-1 長い頸の「壺G」の謎:

« I-11 幻?の環濠集落・田原窪遺跡 | トップページ | J-4 ヲサル山遺跡の注口舟形土器の不思議 »