I-11 幻?の環濠集落・田原窪遺跡
11月24~25日の八千代市郷土歴史研究会の市民文化祭での展示発表が今年も近づいてきました。
今年度は、ふるさとの歴史展「旧村のいま・大和田新田のすがたⅡ」として、たぶん私はその時刊行される『史談八千代』32号に書いた「民俗行事にみる旧村の伝統と新しい街・大和田新田」と「埋蔵文化財調査から見た大和田新田の原始・古代の姿」の二つのテーマを担当しそう?です。
後者は、郷土史展としてまれな考古学分野のテーマですが、過去の展示ポスターを整理していて、実は13年前、市内の遺跡の現地説明会のルポを展示したことを思い出しました。
それは1994年10月8日に行われた田原窪遺跡の現説と、10月22日の間見穴遺跡の現説の速報ルポでした。
いずれも佐山貝塚のある舌状台地にあるのですが、八千代市遺跡調査会で調査された田原窪遺跡は弥生中期の遺構、千葉県文化財センターで行われた間見穴遺跡は、帆立貝形や円墳からなる古墳群で、両者ともに興味深い遺構でした。
特に、そのきれいな円弧を描く見事な環濠遺構が眼前に出現していた田原窪遺跡は、私にとっては八千代市の先史時代の遺跡に興味を持ったきっかけになった遺跡です。
西日本で盛んに築かれた(=掘られた)環濠集落遺構ですが、関東では横浜市の大塚・歳勝土遺跡が一部保存されていて有名です。
その環濠が八千代市市域でもみられるということは、当時の私にとって「重大事件」でした。
その時の写真を探していたら、やっと資料と一緒に出てきました。
まだデジカメなんて考えられない頃で、性能の悪いカメラで撮った写真は色あせていましたが、環濠も宮ノ台式の土器もその時の感動そのままに残っています。
さっそくスキャナーで保存しておきました。
ところで、この田原窪遺跡ですが、発掘調査後埋め戻され、「大学町」という住宅街になってしまいました。
緊急発掘ですからやむおえないことですが、問題は「その後」です。
なかなか調査報告書が発行されないのでどうしたのかしらと、埋文行政にたずさわっている方にお聞きしたところ、住宅開発を行った業者が倒産してしまい、整理に必要な費用が宙に浮いてしまっているのだそうです。
今も整理に精を出されておられる担当の方もいらっしゃるし、いくらお金がないといっても県下でも貴重な遺跡ですから、市民に情報を明らかにし、その声を市政に反映させれば善処の余地はあると思います。
ともかく一日も早く調査の中身を見たいですね。
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