M-2 西アジアの遺丘(テル)の風景と最古の女神像
今日(5/26)午前中は、五月祭でにぎわう東京大学へ出かけ、東大総合研究博物館で今日から開催の企画展「遺丘と女神-メソポタミア原始農村の黎明」を見てきました。 (残念ながら、会場は撮影禁止ですので、会場内の画像はありません。館の公式HPも図録もまだできていません)
展示の主人公はシリアのテル・セクル・アル・アヘイマル遺跡から出土した約9000年前の女神の土偶。「メソポタミア地域最古の写実女性土偶。初期農耕民の信仰が分かる」のだそうです。
高さ約15cmぐらいで未焼成ですが、泥をクリーニングして現われた顔は、ポスターの未整備な姿とは違い、目鼻立ちくっきりの艶やかな面差し、後姿は長野県棚畑のヴィーナスさながらの丸くぷっくりしたお尻が印象的です。(6月10日まで実物を展示、以後はレプリカ)
もうひとつこの展示で、印象深かったのは、「遺丘(テル)」の姿。
会場のプロローグを飾るは、1956年のテル・サラサートの写真と江上波夫先生の詩でした。
この遺丘(テル)は村落(むら)の亡骸
村落(むら)に生まれ 村落(むら)死し
代代(よよ)の村落(むらむら) その亡骸を
ここに埋め 積み重なりて
風悲しき丘となれり
黄泉(とこつよ)のこの村落(むら)むらの
萱ぶきの屋根は崩れ
泥土の壁も空しく
土台(つちくれ)のみ積み重なりて
家々の骨格(ほねぐみ)を露わす
住み人は 老いも若きも
冷たき床に永遠(とこしえ)の沈黙(しじま)にたえ
壁際のパン焼竃に
火は消えて六千有年
ティグリスの曠野に
人知れず横たわる
この村落(むら)むらの亡骸
われらいま 科学の魔杖もて
この村落(むら)むらの亡骸に
光と 動きと 言葉を与え
この遺丘(テル)をして
現世(このよ)に 鳴動せしめんとす
会場の真ん中にも大きな遺丘(テル)モデルと遺丘断面パネルが立体的に表現されています。
この風景はどこかで見たはず!
そう! 発掘調査直後の馬場小室山遺跡、そして栃木県の寺野東遺跡のジオラマ模型の姿そっくり。
2005年10月1日馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」で、明大の阿部芳郎先生が『「環状盛土遺構」より、「遺丘集落遺跡群」』と定義したほうが良いと提起された遺丘(テル)の実像に少しでも触れることができたように感じました。
(ただ、遺丘モデルの裾に置かれたらくだの模型の小ささで推し量ると、その規模は十何倍も違いますが・・・)
そのほか「メソポタミアの最古の土器」、線刻や黒と赤で彩色された紋様があざやかな「メディアとしての土器」なども、日本列島の縄文紋様の土器に思いを馳せながら、興味深く観てきました。
総合研究博物館を出て、息子のかかわっていた文芸サークルの五月祭展示会場にちょっと寄って、午後からは、お茶の水の明治大学へ赴き、日本考古学協会の公開講演会を聴き、駅への帰り道、お茶の水クリスチャンセンター4階の聖書考古学資料館に寄ってみました。
この資料館の開館は月曜と土曜の午後1~6時までで、そのほかの日はいつも閉まっていますが、今日はちょうど開いていて、ラッキー!
シリアからイスラエル~エジプト~ローマの古代遺跡と遺物(ブラック・オベリスク、粘土板文書、円筒印章、壷・碗などの土器、土偶など) が展示されていて、さらに膨大な旧約聖書の背景となる西アジアの考古学資料を身近に親しむことができました。 (ここも撮影禁止です)
解き明かされる最古の人類の歴史、考古学協会の講演会も含め、その文化の源流を訪ねる一日でした。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント