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2006年11月10日 (金)

I-9 生きつづける古墳-虎塚古墳VS高松塚古墳の現状

061104_216s 11月4日~5日にひたちなか市で行われた「古代常陸国シンポジウム―風土記・国府・郡家―」に参加する機会に、一日早く発って那珂川周辺の遺跡を回ってみました。
シンポジウムでは、大塚初重先生の「虎塚古墳とその世界」という講演も予定されていましたので、ちょうど石室の一般公開中の虎塚古墳も11年ぶりに、訪ねてみることにしました。 (→フォトアルバム「史跡歳時記」

 以前訪ねたのは、1995年の11月4日、歴博友の会の「茨城・福島の装飾古墳の旅」見学旅行で、白石太一郎先生のご案内でした。
 この旅の日程が選ばれたのは、年に2回の一般公開の日程にあわせたからです。(気温と準備の整った春秋の公開日以外は、いくら偉い先生の引率でもダメ、というのは実に明快なルールです。)

  今回も、前方後円墳の整った古墳の堂々たるたたずまいにまず感動し、そして、数人ずつ観察室に招じられてペアガラス越しに観た石室の壁画。
 061103_102s湿度がじわっと肌に感じられる地下の世界で、薄暗いライトに照らし出された呪術的な幾何学模様と、ネックレースのような身の回りの具象的な絵画に、冥界へと引かれていくような不思議な気持ちがしたことを思い出しました。 (→画像は、ひたちなか市埋蔵文化財調査センター展示の石室レプリカ)

 この古墳の調査と保存にかかわってこられた大塚先生のシンポジウムでのお話しは、1973年の壁画発見の感動を伝え、そして市民への公開と保存に配慮した遺跡の活用を説く熱のこもった内容でしたが、最後に、虎塚古墳と比較して惨憺たる末期症状の高松塚古墳の現状とそれに至った過程への疑問を強く訴えるものでした。

 帰ってから、買ってきた「史跡虎塚古墳‐発掘調査の概要‐」(平成17年ひたちなか市教委)と、ネットからダウンロードした「高松塚古墳壁画の現状について」(文化庁美術学芸課)を、そして一昨日発刊された『東アジアの古代文化』129号大塚初重「高松塚の現状と将来-古墳保存への一考古学者の提言-」を読みました。061104_256s
 『東アジアの古代文化』129号で大塚先生は、高松塚古墳について、1972年発見された網干善教氏、調査の中心におられた末永博士が、「高松塚古墳を国の機関への保存と管理にゆだねることが最上の選択」と、断腸の思いで発掘調査にピリオドを打ったいきさつ、また、いっさい関係者以外目にすることなく、一億円以上の保存施設が完成して高度な保存作業を進んでいるとばかり思い込まされてきた三十年余の歳月について、考古学者の痛切な気持ちを綴られておられます。
 そして「墳丘と横穴式石槨が築造場所にそのまま保存されること」を主張し、「現代の自然科学が到達した最高水準の保存法が、石槨解体しかないとすれば、古代人の墳墓に対して二十一世紀に生きる科学者として傲慢すぎるのではないだろうか。」「墓まで毀して墓主の心を安堵させていた壁画を外に取り出すことはないと思う。」と述べておられます。(→画像は11月4日のシンポジウムでの大塚先生)

 また虎塚の発見直後の保存への努力と一般公開への地元の方々との協力のドキュメントも心打たれました。
 1973年の公開時の一万数千人の見学者の姿、また調査終了に際して、石室閉鎖して墳丘を復元後、、覆土の安定と湿度の保持のため、勝田市の消防署が放水で協力したとか、大塚先生の提唱される「市民の考古学」真髄のエピソードが語られています。

 11月9日付朝日新聞文化欄「茨城県の古墳 傷まぬそのわけは」に記された明治大学矢島国雄氏の言葉「墳丘が壁画を守る力はすごい。高松塚も、その点を学んでくれていたら・・」
 古墳は、そしてその石室も、墳丘と周囲の環境とともに「生きてきた」そして「生きつづける」遺跡なのだと思いました。

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コメント

再度のコメントありがとうございます! 高松塚と虎塚の発掘後の壁画保存状態は、確かに両極端になりましたね。かたや白色粘土を分厚く塗った上に描かれた呪術的文様の虎塚、それに対して薄く塗られた漆喰の上に細密に描かれた高松塚の壁画。同じ条件ではないのですが、高松塚やキトラの悲劇を見ると、文化庁の保護対策に問題ありと思っている人が多いのではないでしょうか?私も石室が生きていて呼吸をしていると感じたことがあります。大雨の降ったある年の夏、チブサン古墳の壁画を見たときです。保護ガラスの向こう側には水滴が付いていて、じとっとした感触が伝わってきました。あくる日レプリカを見たのですが、さばさばとした感じでまるで違っていましたもの。やはり、本物にはかないませんね。 

投稿: 墨書土器39 | 2006年11月13日 (月) 13:57

墨書土器39さま
こちらのブログのコメント欄にも、お出でいただきありがとうございます。
過去ログを含め「東京暇人」の高松塚古墳関連の記事を皆さんにも読んでいただきたく、→欄に貴ブログをリンクいたしました。

高松塚古墳解体への今の状況に、大塚先生、なくなられた網干先生、小林三郎先生の思いはいかがであろうかと、胸が痛みます。
石槨解体へのスケジュールは作業が遅れ気味らしいですが、世論の声で何とか避けてほしいですね。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年11月13日 (月) 23:55

わたしも古代常陸国シンポにいきました
ついでに虎塚古墳も見学できました
ブログで書こうとしているのですが、忙しくて
まだできません

ゆみ先生のHPは常々参考にさせていただいています

投稿: 北畠克美 | 2006年11月17日 (金) 21:39

北畠克美 さま
コメントありがとうございます。
古代常陸国シンポは初日だけ聴講しましたが、文献史学と考古学のコラボレーションがとても魅力的でしたね。
虎塚古墳の公開日にあわせてくださった主催グループの熱意にも感謝です。
ブログでお書きになったらぜひトラックバックしてください。
(ゆみ先生→ゆみさんにしてくださいね)

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年11月18日 (土) 20:48

大塚先生からお葉書をいただきました。
「(前略)
各地の方々に虎塚や高松塚のことが紹介され、ありがたい限りです。
網干氏は逝去され、虎塚をこよなく愛し、私の片腕だった小林氏も逝き、寂寞の晩秋を感じています。・・・」

両先生のご冥福をお祈りします。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年11月25日 (土) 08:51

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