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2006年11月25日 (土)

S-5 戊辰戦争-敗者のその後

 八千代市郷土歴史研究会恒例の「郷土史展:-旧村のすがた・大和田新田研究-」は、本年もたくさんの会員の協力と大勢の熱心なご来場者で盛況に終わりました。
 061123_003s 今回中でも注目されたのは、11月18日の朝日新聞千葉版でも紹介していただきました畠山会員の「佐倉藩士小柴宣雄の墓碑が語る」の研究発表でした。
 061123_006s_3テーマ名のこの墓碑群は、大和田新田一本松(成田街道沿いマルヤの向い)の小さな墓地にある佐倉藩中級藩士小柴宣雄とその子孫の墓碑群で、土地の所有者が清掃してくださっているものの、今は墓を詣でる遺族もなく、近々道路拡幅で整理されることも懸念される状態なのです。
 「なぜこの場所に元佐倉藩士の墓が建てられたのか」、碑文の解読、佐倉藩関係文書のほか、大和田新田旧家の文書、石造物、地域の聞き取り調査など会のグループワークで明らかになったその内容は、 「史談八千代」31号の畠山論文をお読みいただくとして、会員の心を引いたのは、宣雄の長男で、戊辰戦争に幕府方として参加し自刃した小次郎の若い死と、藩に反旗を 翻し脱藩したこの子息を持った一族の廃藩後の生活でした。
 畠山氏は「佐倉藩では廃藩後、禄を失った藩士らのために士族授産事業として佐倉同協社や佐倉相済社を興しているが、宣雄がそれらに参加した形跡はない。」「小柴家としては一時期脱藩者としての汚名を免れなかったであろう。小次郎の父宣雄が、廃藩後佐倉から隠れるようにひとり大和田新田の地に居を移した理由もこのあたりにあったのではなかろうか。」と述べておられます。⇒写真右:小柴宣雄の墓(右)と小次郎(左の墓碑)

 Hananonotegamis 私が古文書を通じて戊辰戦争後の敗者側の運命がいかに過酷だったかを知ったのは、2003年5月、上野公園内の彰義隊資料室で見た女性の手紙でした。
 この日は資料室が閉鎖される最後の公開日で、この手紙は、鴨居の上に釈文もなくひっそりと展示されていました。
 地方文書と違って、流麗な女手の草書体でしたので、私にはすぐには読むことができず、その日はデジカメで撮影して、後日八千代市郷土歴史研究会の関和会員にご協力を仰ぎ、解読していただいたところ、この書簡は、上野戦争で彰義隊員戦死者の妻「花野」が、見せしめに放置された隊員の遺体を収納させてほしいと、勝海舟にあてて懇願する手紙でした。 (釈文全文は「郷土史研通信」48号P6に掲載)

Tegami 「 勝 安房の君      花野
       御直披
 當今の形勢は 実に叡慮に出る所か はた天命か
 止なんとして 又止がたき徳川家忠義の浪士 上野山中 戦死のあらさま
 元より戦の意味なきに 大軍四方をとりかこんで 火中に必死を極めたる
 其忠 其戦 詞つきたり
  (中略)
 早く其のなきがらをうずめ せめては なき霊をなだめまふし
 尤も忠臣義士の死ざま 世の人に示さんには 
 中々に かは弥の面目 徳川家のほまれ也  
 一たびは人心をしてよろこばしめ 二たびは人心をしていたましむ 
 是をしも 雨露にさらし 日にかわかし 長く泥土におくものならば 
 其の怨みは天下にあらん
 早くとうおさめんことを 公になさしめ給へ
 官軍も かの楠を例とせば いかでか是をわろしと申さん
 此の事 とくとくと申すなり 
 婦の長舌も 時世にうそと糺さるるとも 
 猶 罪とせられば 座して死をまたんのみ
 何とかすべき  あなかしこ あなかしこ

  上野山動かず さらでほととぎす
    鳴くとて血をはく さみだれのころ 」

 Syougitaihakas HP「台東区」の「上野彰義隊の墓と黒門」の記述に寄れば、「官軍は彰義隊に対しては厳罰でのぞみ、死体の後片付けさえも許さなかった。遺体は、そのまま雨の中を数日放置され悪臭がただよい始めた。 (中略)  『これは放っては置けない』と、官軍の激しい目も気にせず遺体の収容に立ち上がったのが三ノ輪円通寺の住職仏麿和尚と寛永寺御用商人三河屋幸三郎、新門辰五郎らであった。さすがの官軍もこれには口を出さなかった。山岡鉄舟筆になる『戦士之墓』は彰義隊隊士の遺体の火葬場の跡である。」とのこと。
 そういえば、上野公園の墓碑には「彰義隊」の文字はなく、「戦士之墓」とのみ彫られていました。

 小柴家の長男小次郎の名誉が回復されたのは、もうひとりの佐倉藩脱藩者木村隆吉とともに「両士記念之碑」が、佐倉郷友会の手によって、麻賀多神社境内に建てられた大正2年のことでした。
 敗者の、しかも藩という狭い社会での少数の反逆者、そしてその遺族の生活はいかがなものであったか、畠山氏の史料に裏付けられた報告は、大和田新田の地に懸命に生きた家族とその時代の趨勢を考えさせる珠玉のレポートでした。

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