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2006年10月 2日 (月)

I-8 遺構の景観=古代人の見たローム土の世界

 十年前の夏、発掘調査された中世城郭遺跡の現地説明会があるというので、はるばる光町まで出かけたことを思い出します。その名も光町篠本字城山。(現在ではスポーツ公園と化して、跡形もないそうです。)
 ひとつの台地全体を掘りあげてあって、薬研堀や曲輪など城郭全体の遺構も一目瞭然でよくわかりましたが、中世城郭というと、草深い古城址になれていたせいか、関東ローム層むき出しのその姿はショックでした。
 しかし、戦国時代の下総の城郭は、切岸や土塁などロームむき出しの姿があたり前だったのですから、歴史的光景としては、藤村の詩のような古城の風情より、この姿のほうがリアルだったのかもしれません。

 Dscf0155先日、千葉県文化財センターの『研究連絡誌』のバックナンバーを読んでいて、雨宮龍太郎氏の「古墳の発掘法と作図法」(平成2年)という論文が目に止まりました。
 この論文では、丁寧な発掘により墳丘の築土過程が復元できることと、その築土の方法が凹面構築法という物理的に優れた工法であることなどが述べられていますが、最後に、「古墳が造られた当初の姿は、段畑状の赤茶けた殺伐とした墳丘であった」とし、風土記の丘などの史跡公園の保存展示の姿とは異なる景観を指摘しています                    (⇒写真は公津が原古墳群の船塚古墳)

 ローム層がむき出しの景観は、縄文の環状盛土遺構の井野長割遺跡の調査報告でも言われていたことです。
 「削ぐように掘削された中央窪地」、「ローム質黄褐色層が単層でレンズ状に盛り上がるように覆っていた状況が確認され、意図的な盛土行為が推定される」マウンド(体育館側のM5)など、黄褐色ローム土が盛土の上を覆った「黄色い世界」が当時のムラの景観だったいう報告が、2004年のシンポジウムで印象的でした。

 確かに、赤茶けた黄色いロームの世界は、今の私たちには造成地の工事現場を連想させ、重機によって破壊された環境を意味する殺伐とした景観にほかならないのですが、一方、弥生の方形周溝墓・環濠も含め、縄文~中世の人々にはどういう印象だったのでしょう。
 石器や木鍬で土を掘り返すということは、近世に至るまでかなりな重労働な行為だったと思います。緑の森や原野を人の手で加工して現れる鮮やかなロームの世界は、それ自体希少価値があり、人に畏敬の念や警戒心を与え、またこれ見よがしに誇示するにもふさわしかったことでしょう。
 もっとも石のたくさんある地域では、ストーンサークルや石葺きの墳墓、石垣の城郭構造のほうがより畏怖の象徴であったと思いますが、石のない下総台地では、むき出しのローム層、またローム粒による黄色化化粧がそれに代わるインパクトとして機能したのではないでしょうか。

 0692_193 雨宮氏は上記論文で「古墳を保存・展示しようとするならば、墳丘表土と周溝を発掘して、築造本来の形態を露呈すべき」と論じています。
 なるほどと感じさせる主張ですが、史跡公園への一般の来場者が、緑に覆われた遺跡の心地よさを求めている現状と、(古代もそうだったはずですが)メンテナンスにとても手間のかかることを考えると、現実では無理じゃないかなとも思えます。       (⇒写真は、房総風土記の丘の復元された101号墳)

 さて、古代人が神聖視した「土」へこだわりを、現在の生活の中に探してみました。やはり、相撲の土俵かなあ・・(ほかにもあったら教えてください)

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コメント

 ちょっと本題とは外れますが・・・。さわらびさん、千葉県文化財センターの『研究連絡誌』のバックナンバーを多くお持ちですか?
 実は、この雨宮龍太郎氏が書かれた「古墳の発掘法と作図法」(研究連絡誌第30号)は、千葉県文化財センター内部で論争を巻き起こした論文でした。手元に研究連絡誌のバックナンバーがないので正確な号数は一部わかりませんが、雨宮氏が上記「古墳の発掘法と作図法」を書かれたのは椎名崎古墳群での調査経験を元にしたものです。
 そして、雨宮氏が発表された直後の研究連絡誌で白井久美子氏が「古墳の墳丘の復元と作図方法」(このようなタイトルだったかな?)、佐久間豊氏が「古墳の発掘法と作図法を読んで」(研究連絡誌第32号)を書いて雨宮氏を批判し、それを読んだ雨宮氏が「古代匙考」(研究連絡誌第33号)で再度反論するという展開を見せました。
 そして、この間の経過を佐久間氏が改めて『史館24号』で「発掘調査は誰にでもできるか」というタイトルで触れております。内容は、古墳の築造直後は雨宮氏が主張するような「古墳が造られた当初の姿は、段畑状の赤茶けた殺伐とした墳丘」ではなかったというもの、そして、雨宮氏の調査方法に対する批判です。私も幾つか古墳の調査を担当しましたが、確かに段畑状になっていると考えられるものはありませんでした。
 ぜひ、古墳の墳丘復元について書かれた研究連絡誌も読んでみてください。私は怖くてこの論争に対する批評はできませんが、発掘調査の成果のみから古墳の復元をすることの難しさが改めてわかりますね。

投稿: ? | 2006年10月 4日 (水) 23:51

?さま、コメントをありがとうございました。
素人の怖いもの知らずで、またまた論争の地雷を踏んじゃったようですね。
雨宮氏の論文はインパクトの強い論調ですので、それなりの反響があってもおかしくはないと思って読んだのですが、やはりお仕事の世界では然るべき反論もあったのですね。
白井久美子氏・佐久間豊氏の批判の載った研究連絡誌第32号と『史館24号』は入手していませんが、ぜひ読んでみたいです。(ちょっとドキドキする?)

古墳の形の復元やその方法も興味深い議論のようですが、いずれにせよ、印旛沼や河川敷の平野が一望できたであろう古墳群をとりまく環境が、昨今は一変していて、古代人の視点に立つにはかなりの想像力が要求されますね。現地には、(せめて近代初めの迅速測図で復元可能な)かつての地形がイメージできるような看板がほしいところです。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年10月 5日 (木) 22:26

白井久美子さんが書かれた研究連絡誌の正式タイトルがわかりました。永沼さんとの共著でした。訂正します。
白井久美子 永沼律朗「古墳の発掘」(研究連絡誌第32号)

投稿: ? | 2006年10月 6日 (金) 23:33

雨宮論文に対する批判文献につきまして、いろいろとありがとうございました。
『研究連絡誌第32号』の
佐久間豊「古墳の発掘法と作図法を読んで」
白井久美子 永沼律朗「古墳の発掘」
『史館24号』の佐久間豊「発掘調査は誰にでもできるか」
を拝読しました。

素人の立場から感想を述べることは、?さま以上に“怖くて”書きづらかったのですが、安易な引用をしてしまった“責任”がありますので、遅ればせながら書いておきます。

「古墳本来の墳丘面は、葺き石のある古墳の例を挙げるまでもなく段々畑状になることはない」「段築は、・・・不規則にあるものではなく整然としているものである。それは、墳丘中央部の高さを強調するという視覚的な効果を目的とし、また埴輪等の樹立に用いる、明確に計画された空間なのである」
以上「古墳の発掘」の一文、そしてその調査例の実証から説得性のある論考と、他の2本の論説からやはり「段畑状の赤茶けた殺伐とした墳丘」というのは、無理があると感じました。

最後に「古墳の発掘」では、古墳の保存ということについて、古墳が改変されないように後世に伝えることが最善の方法であり、五色塚古墳のような現代の土木技術による整備は、本来の古墳の姿を改変するものと強く批判しています。
古墳の復元整備ですら疑問を感じていた昨今でしたが、高松塚古墳が最悪の事態を迎えてようとしているこの冬、「古墳が改変されないように後世に伝える」ことの意味がさらに切迫感をもって問われていると思います。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年11月 9日 (木) 21:55

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