« H-1=花の名の由来=「ミソハギ」 | トップページ | S-4 お墓に刻まれた遺言の道しるべ »

2006年8月29日 (火)

T-4 桑納川の川底に眠る遺跡群

06827_115先日(8/27)、船橋市郷土資料館で「川底から発見された土器-桑納川(かんのうがわ)流域の土器文化」の小企画展を見てきました。

八千代市と船橋市の境の桑納川川底から大量に発見された縄文後晩期と、平安時代頃の土器、近隣の金堀台貝塚と北之崎遺跡の資料が展示されています。

両市の合同調査にたずさわったT松さんに昨年から発見の次第や顛末をお聞きしていましたし、3月に飛ノ台史跡公園博物館でその一部が展示されていましたが、今回は採取遺物の全部と採取地点の景観、近隣の遺跡の遺物との関連などその全貌が公開されているとのことで、さっそくT松さんにも同行をお願いし見学、帰路現地にも行って来ました。

「縄文遺跡のある風景 in印旛沼周辺の遺跡群」に追加UPしましたので、ご覧ください。

調査のきっかけは一昨年、渡辺誠氏が、資料館に「鑑定」をお願いに持ち込んだ縄文後晩期の土器群で、採集地点は八千代市側の高本下弁天地点。その後、両市の合同実地踏査や、高古橋付近で河川改修工事を前にしての県と両市の調査も行われたそうです。

夥しい数の縄文土器底部、長く低湿地にあった証拠に真っ黒な泥炭がついたままのリアルな深鉢のかけら、漆塗りらしい土器、製塩土器片、石棒や耳飾なども並んでいます。

低湿地の縄文遺跡については、本HPの「縄文遺跡のある風景」にもUPしましたが、「遺跡は台地上」という「常識」は印旛沼周辺でも打ち破られつつあることを感じます。

HPで取り上げたのは、文化財のお仕事をした経験のある母親とその子供の水遊びが発見のきっかけの「西根遺跡」、郷土史家の五代先生が遺跡の破壊される中で土偶や完形土器を集めたという「吉高一本松遺跡」ですが、桑納川川底での発見もアマチュアの方です。

1951年、栗谷遺跡に近い保品の水田で、くり舟を発見し、早稲田大学の調査で土器や堅果類発見の成果につなげたのも地元の農家の方でした。(復元されたくり舟は、八千代市郷土資料館の「超めだま!」です)

「常識」外の発見や緊急の遺物救出には、関心のある市民の考古学についての素養が何より効果を発揮しています。

自治体の遺跡マップが、ほとんど台地上の遺物散布地を囲んで作られていますが、今後は河川改修や圃場整備での調査も必須となるかと思います。(といっても、もう遅すぎる?)

今後の桑納川の遺跡群についてには、河川改修整備の行政調査のほか、ぜひとも積極的な学術的な調査も期待したいですね。

|

« H-1=花の名の由来=「ミソハギ」 | トップページ | S-4 お墓に刻まれた遺言の道しるべ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/107552/11668278

この記事へのトラックバック一覧です: T-4 桑納川の川底に眠る遺跡群:

« H-1=花の名の由来=「ミソハギ」 | トップページ | S-4 お墓に刻まれた遺言の道しるべ »