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2006年7月23日 (日)

Y12 ゆりのき台の土器は「香取の海」のユニバーサルデザイン?

 「さわらび通信」に八千代市内の弥生土器の画像を自分のメモ代わりに、載せておきましたが、7月1-2日のシンポジウムにむけて、演者が当日のスライドに使用できるよう、土器見会や展示会で撮った印旛沼周辺の主に後期の弥生土器の画像を整理して「やちくりけんブログ」に連載してみました。
 昨年夏、弥生土器に興味を持ち始めたころの撮影は単にメモ代わりだったので、きれいに撮れていなくてアップをためらうようなものも多く、またどんな形や施文がポイントなのかもよくわかっていなかったので、重要なものを選びそこなっていたかと思います。

 あらためて画像アルバムを整理していて、すばらしい土器なのに写りがイマイチと思うのも多々あり、そのひとつに萱田遺跡群(現ゆりのき台)の権現後遺跡のD151号住-1とD030号住-1がありました。 (→ 「Ⅰ 権現後遺跡(ゆりのき台)の土器」Gongenusirodokis_1

 それでも、「ゆりのき台のどこからこんな土器が出るのでしょう?おどろきました。」と一般の方から、コメントをいただき、こんな間に合わせの画像でも感動してくださる方がいらっしゃるのだと思い、八千代市の文化財整理室にご無理を言って、再度撮影に赴きました。(現在の「やちくりけんブログ」には入れ替えた画像を載せています)
 特にD151号住-1の土器は、プロポーションも付加条縄文の施文もじつに美しい土器ですね。

 この土器の形を表現するのに、その属性を並べて言うと、「複合口縁で、頚部無紋で、胴部縄文のやや細長い形の甕」と言うことになりますが、このかたちの土器は画像アルバムを整理していても、報告や論文の実測図を眺めていても、印旛沼周辺ではたぶんひとつの遺跡で完形や略完形の整った土器が一つや二つある「ありふれた」形のよう。

 アップした土器図鑑から並べてみると、西は松戸市の原の山第6号住居址01、手賀沼周辺では柏市東宮前1号住-1柏市根木内台貝塚第1号住柏市中馬場59号住(467)柏市南小橋、印旛沼の北側では、白井市の捕込附遺跡1号住-1と2、栄町のあじき台30号住-188と189、印旛沼の南側では、江原台第113号住-02Y-6号址-4吉見台B5号住-11、そして八千代市内でも、栗谷A091住-1境堀1-005住-01などなど・・・

 シンポジウム予稿集の深谷昇氏の「周辺地域の様相3 栃木県から」の報告によれば、鬼怒川を通じて地理的に密接な完形を持つ栃木県域と印旛沼周辺、さらに手賀沼や霞ヶ浦周辺でも見られる共通した形とのこと。(やはり古代~中世の「香取の海」文化圏が先史時代でも通用するってこと?)

Nadakuni  そういえば霞ヶ浦の土浦市上高津貝塚ふるさと歴史の広場で撮った画像が、パソコンにねむっていました。 永国の和台遺跡出土の土器(⇒)だそうです。

 また予稿集の小玉さんが作った編年図では、このかたちの土器は、後期の初めの頃から(特に印旛沼周辺では)その終わりごろまで、ちょっとずつプロポーションを違えながら、ずっと続いて作られたようですが、二つとして同じ土器がない個性的な関東の弥生後期の土器の中で、しきたりとして普遍なのか、こういう形が丈夫で使いやすかったのか、このかたちの「平凡さ」は不思議です。

 このシンポジウムでも「東関東系」とか言っていた栃木~茨城~北総・東葛にわたるユニバーサルデザインのこの土器のかたちに、なにか簡便な名称はないのでしょうか。

 こんな独り言をシンポジウムの前にメールしたら、鈴木正博氏から研究史をしっかり勉強しなさいと釘を刺され、『山内清男さんが菊池義次さんに教示した「長岡式」を代表として、「長岡式系土器群」と呼ぶのが無難です』と忠告いただきました。
 (「長岡式」っていうと、石神第Ⅱ地点第4住-1の土器しか連想しない私は、やっぱり不勉強なのでしょう)

 さて、権現後D151号住-1の土器、各地の並み居る定番の土器の中で、ひときわプロポーションが女性的で垢抜けた土器と思いませんか。同じ形の制服でもちょっとした仕立て方の違いで個性が出るように、ゆりのき台の弥生人は、新感覚の人々だったのかもしれませんね。

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