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2006年7月13日 (木)

I-7 シンポジウム「印旛沼周辺の弥生土器」と市民参加

Kuriyadoki  “地元でこんなにすごい弥生土器がでている!”って初めて知ったのは、昨年(2005)の5月。
 保品地区の開発事業に伴う発掘調査が終わり閉鎖直前の現地調査会事務所で一目見た栗谷遺跡の弥生土器のすばらしさと面白さに、すっかりとりこになりました。(写真→栗谷遺跡の土器)
 何の考古学の知識もなく、ただの好奇心でこのことを私のこのブログや「郷土史研通信」8月号に書いているうち、いつの間にか土器や遺跡について語るサロンのような場ができてきました。(私の無知な暴走をコントロールしなくちゃと、プロの方々が思ってくださったのかも・・) 

 「じゃあ、栗谷の土器について市民中心の講演会を、遺跡のある東京成徳大学でやろう」との提案が上がったのは、8月20日「さわらび通信」主催の柏と白井の古墳めぐりの後の懇親会だったと思います。猛暑のあとのビールの勢いで、このとき今回の実行委員会の幹事会のメンバーは決まってしまったようなものでした。
 Kuriyaiseki 馬場小室山フォーラムの後、10月20日に夫婦で大学の房総地域文化研究プロジェクトのT先生とM先生に趣旨を話に行き、そして実際活動が始まったのは、郷土史研の展示会が終わった暮れの12月。                       (写真→栗谷遺跡のある東京成徳大学キャンパス)   

 一方、そのころ研究者中心の同じテーマのシンポジウムの計画を依頼されたT松さんが、そのための勉強会(仮称「印旛地域研究会」の「弥生部会」)の立ち上げを企画していて、どうせなら、市民向けの講演会も研究者のシンポジウムも一緒にやろうということになったのです。
 こうして12月10日、ちょうど始まった八千代市博物館の栗谷の土器の展示会に合わせて、印旛沼周辺自治体の若い埋文担当者が集合、「やちくりけん」(=八千代栗谷遺跡研究会)が発足しました。
 年が明けて、T松さんからの年賀メールは「もう会場を市民のさわらびYさんの名前でとってきちゃいました」とのこと。ここで7月1~2日の日程は決まり、あとは、邁進するのみ!(なんと言う無謀!)
ここから後の活動実績は、 「やちくりけんブログ」「活動報告」をごらんください。

 今回の市民講演会&シンポジウムは、市民と若い埋文担当者を核に、実に多くの様々な分野のグループのネットワークの力を集めて実現したイベントでした。
 まずは、私たちの夫婦が初めて馬場小室山遺跡研究会に、考古学の真髄と遺跡保存をめぐる市民と研究者の協力のあり方を学んだことと、そのメンバーのバックアップは最大の力でした。
 この馬場小室山遺跡研究会の市民層の中核ともなった明治大学博物館友の会メンバーは大塚初重実行委員長の実現の功労者ともなり、また、明大生涯教育の大塚教室受講生を一口1000円の協力会員に次々に誘ってくださったので、急遽、このメンバー向けに協賛企画「大塚先生と八千代の古墳めぐり」のイベントを行いました。
 地域では、東京成徳大学が協賛企画で「房総プロジェクト特別講義&栗谷遺跡現地説明会」を開き、応援してくれました。
  そのほか「八千代市郷土歴史研究会」や「手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会」「八千代縄文土器作り会」のメンバー、そして多くの埋蔵文化財担当者、大学の考古と文献の研究者が、会費の負担を含め、実行委員・協力会員として活躍してくださいました。
 06701_011学術的には、鈴木正博さん率いる“超”専門的な研究会「弥生道場」が、土器見会をとても内容のある緊張した学習の場にすることにより、シンポジウム後半の下地を作ってくれました。
 八千代市の遺跡調査の仕事を手伝っている補助員さんや学生さんが手弁当、無報酬で手伝ってくださったことも感激でした。 

    (写真→市民講演会の会場設営もみんなの手で)

 考古学の学術的な探求と市民主体の地域活動をともに実現するコラボレーションを、初めて試みた実に大胆な半年間の活動でしたが、あっという間に過ぎてしまった感がします。
 その共通した原点は、遺跡破壊の代償としての貴重な発掘調査成果を市民に(=人類に)還元することが、今の自治体や社会の傾向の中では、市民にとっても文化財担当者にとっても急務だという認識だったと思います。
 一部の遺跡や考古資料が特別展等で脚光と浴びる一方、行き場のない多量の遺物や、少数の研究者しか見ない報告書、現地に看板ひとつなく地形すらイメージできない遺跡が、泣き声さえも上げられないで忘れられていくのではないか、埋蔵文化財が再び暗闇に「埋蔵」されてしまうのではないか、という問いかけが、今も私の心から離れません。
  060702_1遺跡を掘った人と、興味を持った市民が、その遺跡の価値を見出すべくともに学び教えあうことが大事であり、「市民の考古学」とは、市民を文化行政の啓蒙対象やカルチャースクールの聴衆として見ることではなく、遺跡や文化財に命を与えるために、市民自らその知的好奇心をばねに活動をともにすることだと思います。

(←シンポジウム二日目のパネルディスカッション「臼井南式設定の研究の歩み」)

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