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2006年5月 2日 (火)

Y-11 保品おおびた遺跡の弥生土器

 この夏の7月1~2日、市民と研究者による栗谷遺跡(八千代市保品)をめぐる弥生土器シンポジウムを地元で行うことになり、考古学は素人の私もこの企画へ幹事として参加し、何かと忙しい日々となってきました。
 でも、パブリックアーケオロジーの実践といっても、土器しかも弥生後期だけに興味のある八千代市民はごくまれでしょうから、郷土史や自然保護にも関心のある方にもお誘いして、来ていただいても接点がもてるようにと、シンポジウム予稿集に「第Ⅳ部 保品神野遺跡群周辺の自然と歴史と文化財」のページをいただきました。
 そして昨日(5月1日)さっそく、「保品の自然」に関するレポートをお願いしたSさんをお誘いして、保品・神野地区をフィールドワークしてきました。

 保品と先崎の間の「間谷津」(=まややつ)の「保品野草保存園」でのルポは、 「史跡歳時記・皐月の保品Ⅰ」にもUPしましたが、ここで行われている古代米の栽培は、先史時代に遡る稲作り当初の農法の実験でもあり、とても興味深く思いました。
 
 保品の「少年自然の家」にも自然植物観察園があり、ここは、日当たりのよい湿地の「保品野草保存園」に対し、半日影の水はけのよい斜面に適応したクマガイソウなどの群落が見所です。 (⇒「皐月の保品Ⅱ)

 さらにここには、「少年自然の家」施設建設時(昭和48年)発掘調査で出土した土器などが展示されていたように記憶していたので、古墳時代の土器と一緒に弥生の土器があるかもしれないと、館の中に入らせて、見せてもらいました。Oobitadoki
 二階ホールに上がるとガラスケースに珍しい五領式?の壷に混じって一個だけ、弥生の甕がありました。
 下部は見慣れた附加条縄文、胴部最大径のやや上に刺突紋のラインがあり、S字の結節紋が2~3段、複合口縁で、頸部は無紋です。 (画像をクリックして大きな画像をご覧ください)

 『八千代市の歴史 資料編 原始・古代・中世』のP55に6号住居から出土した遺物の実測図があり、この土器も載っていますが、本文の概要の中では「弥生式土器(久が原式、前野町式)」と書かれています。

 ちなみに7軒の竪穴式住居址が検出され、弥生の住居跡はこの火災で焼失した跡のある6号1軒のみで、ほかは古墳時代のようです。
 複合口縁~頸部無紋~S字の結節紋、そして胴部が附加条縄文の典型的な北関東系、印旛沼北側や佐倉市側によくある土器ですが、刺突紋のラインに、南関東系の甕の特徴である有段を意識している点に、なんとなく栗谷式のにおいも感じられます。

Oobita2 「少年自然の家」の係の方に、「ケースから出して見せてください」とお願いすると、親切にたくさん鍵を持ってきて錠を開けようとされたのですが、鍵が合いません。
 実は8年前から鍵の行方がわからなくなってしまって、ケースを解体しないと出せないということが判明しました。
  「そんな貴重なものとは知らなかった」そして「博物館に移したほうがよいでしょうか」と尋ねられたのですが、「私は、出土地に最も近い施設に常時公開されているべきと考えているので、今のままがよいと思います」と答えました。Oobita3

  外へ出て、施設の南側の畑を歩くと、ほんの少しですが、弥生~古代と思われる土器片がありました。
 眼下の印旛沼干拓地には、田から田へと次々に水が張られています。
 水面が大きく広かった昔のすがたに、多少でも似た風景の拡がる田植え直前だけの印旛沼の景観でした。

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