Y-9 一軒のおうちにみる土器事情(その1 南関東)
八千代市内道地遺跡に、二つの完形の美しい器ときれいな装飾壷の破片が見つかった家がありました。
この「045号」とナンバリングされた弥生の住居から出土したふたつの器は、甕とも壷ともつかない細長い形の土器と、小さな穴のあいた浅鉢で、あまりにも雰囲気の違う土器です。
浅鉢(←)は、口縁部の端に羽状に縄文が施され、縄文の下には輪積みの甕と同じようなV型の刻み文様で区切りの装飾を施してあります。その下は無紋でよく磨かれ、内側も外側も赤く彩色されて華やかな感じです。また穴が2つずつ向こうとこちらにあけられています。
また破片のほうも、羽状の縄文や結び目を転がしてつ けたS字模様、山形の区画、朱彩などで飾られ、かつての華麗な姿を彷彿させます。
「土器事典」の久が原式の土器の挿図になんとなく似 ている気がして、大田区郷土博物館に行き、じっくりと眺めてみました。
そしていくつかの壷の中から、045号出土の破片については、たぶんこんな壷だったのでは、と思える田園調布南遺跡から出土した久が原式の装飾壷(→)を見つけました。
浅鉢のほうは、中根君郎氏寄贈の上が開いた久が原遺跡の浅鉢(↓)と、羽状の縄文の付け方などがよく似ています。
装飾の羽状の縄文帯は、久が原遺跡の鉢のほうが4段プラス直線の沈線、道地遺跡のほうは3段でもV型の刻みで区切りを入れているせいかちょっと派手な感じがしますが、どちらも現代のリビングルームの卓上にお菓子入れとして置かれてあってもおかしくないような親しみやすくセンスのよい器です。
道地遺跡の浅鉢と破片が、輪積みの甕と同様、東京湾を巡る南関東の土器の特徴を現しているということが再認識でき、改めて、印旛沼に面していながら東京湾沿岸とも近しい八千代の遺跡群の地理的な位置を考えさせられました。
さて、このふたつと別な感じのする右側の長細い甕(?)、これは、大田区郷土博物館の展示品には類例のないものでした。
長細い土器は、北のほうの影響とか。そのルーツを知りたくて、茨城の土器たちにも会ってみたくなり、春まだ浅い霞ヶ浦へと出かけましたが、その土器の報告はまたこの次に。
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