K-3 八千代市内最古の十九夜塔は寛文の丸彫り如意輪像でした
2005年7月17日 (日)「女性名の銘を読む-高津の十九夜塔の調査から」の文章の中で「延宝2年(1674)造立の如意輪観音像は、市内十九夜講の石仏として最古であり、高津の十九夜塔でも最大、しかも六臂の姿は荘厳です。」と、また同様な主旨を『史談八千代』30号に書きましたところ、訂正のご意見を賜りました。
実は、高津の延宝二年(1674)の十九夜塔は市内最古ではなく、現在編纂中の市史『八千代市の歴史』草稿中で「初出」とした最古のものは正覚院釈迦堂の右裏手の寛文11年(1671) 10月19日の丸彫り像であると、八千代市史編纂委員のK様から、八千代市郷土歴史研究会会長へご指摘があったそうです。
さっそくこのご指摘にこたえて、正覚院へその石像を見つけに、また調査でもらした参考報告文献がないかを探しに八千代市郷土博物館資料室へ行きました。
確かに正覚院釈迦堂の裏の川嶋家墓地に奥の崖下、夏は灌木に覆われるような斜面に変わりはてた姿の如意輪観音像があります。
ただし、首から上は失われて地蔵像らしき頭部が接合され、右腕もありません。
横には地蔵像の残欠も転がっています。
これが十九夜塔と判断できるのは、像の背面の衣に「像立十九夜女人 念仏講衆」と刻まれているからでしょう。さらに銘文は「村上村(?) 池証山(鴨鴛寺)」と続くらしいのですが、場所が急斜面の裾部ですので、石像を動かさない限り判読は難しそうでした。(→はデジカメを石像と崖面の間に入れて撮った画像)
その足で近くの郷土博物館で『よなもと今昔』のバックナンバーを閲覧し、村上地区の石造物悉皆調査データからこの十九夜塔の調査データを見ることができました。
同報告による銘文は「像立十九夜女人 念仏講衆 □□菩提也 村上村道□ 池証山鴨鴛寺 寛文十一辛亥年十月十九日敬白」だそうです。
高津の十九夜塔より3年先立つ造立。小ぶりとはいえ、丸彫り像です。欠損していなければ、さぞ立派な観音像であったことでしょう。
文化財の価値としては惜しい姿ですが、背面の銘文は女人講の成立を示す歴史資料としてたいへん貴重です。
この石像の銘文を記録された『よなもと今昔』の研究会の皆様に敬意を示すとともに、『江戸期の石造物』リストに依存して調査不足であった『史談八千代』30号の拙文の間違いをお詫びし、八千代市郷土歴史研究会会長のご助言で、高津の延宝二年十九夜塔についての「この石塔は八千代市内最古」という文言は、「この石塔は最も像容が整ったものとして八千代市内最古」と、訂正したいと思います。
以上謹んで訂正いたします。
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