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2005年12月21日 (水)

K-4  女人名の刻まれた船橋市不動院の六面石幢

rokukannon2005年7月17日「女性名の銘を読む-高津の十九夜塔の調査から」の記事について、船橋のmoriさまから11月14日、次のようなコメントをいただきました。

「船橋に不動院という、文政7年(1824)の船橋浦での猫実村との漁場争いで入牢し、なくなった漁師惣代2名の追善供養のための大仏で有名な寺がありますが、実はその境内にやはり女性名ばかり書かれている観音をレリーフにした六角柱の石塔があります。猟師町云々と書かれていますので、やはり漁師のおかみさんたちが漁の無事を祈ってたてたのではと思います。これも、細かい字で判読しにくいものが多いですが。」

3年前船橋の史跡を撮りにいき、不動院の2基の庚申塔の間にあった六面石幢に魅せられて、何枚か撮影してあったのですが、残念ながら寄進者名銘文の鮮明にわかる画像がなかったので、先日(12/17)もう一度見にいきました。不動院は、船橋市中央図書館からすぐのところです。

六面石幢には「奉新造六観世音 女念仏講為二世安楽 元禄十四巳年今月今日」の銘、六観音の浮彫りの下には、「猟師町横丁 不動院月栄代」それ以下に、「妙真 妙案 妙栄 妙凉・・・」など出家した尼と思われる法名が19名、「おふう おい女 およし・・・」などの女性の俗名20名が刻まれています。meibun2 meibun5meibun1

ところどころむずかしい変体仮名で読めないところや、連名の最後に刻まれている「万女」が固有名詞なのか、じっくり調べなければいけない課題はありますが、時は元禄14年(1701)、赤穂浪士の討ち入りのあったころ、念仏講に結縁した女人ひとりひとりがはっきりと個人の名前を出して、この六面石幢を建てたことがわかりました。

デザインも洗練されていて、それなりにお金がかかったことでしょうが、町や村の働く女性たちはそれぞれ負担する力も立場も持っていたといえます。

rokukannon2帰りに中央図書館によって、『調査報告書船橋市の石造文化財』を閲覧し、悉皆調査記録を見てみました。この報告書のデータを見ると、念仏講による供養塔の初出は、本町1丁目の「西向観音」として有名な万治元年(1658)の延命地蔵で、「念仏講中間 拾弐人 同女人十六人 さんや村」と刻まれているとのこと。

その後の念仏塔は寛文期には、女性のみの講となり、また男女で行われていた十九夜講も女性だけで行われるようになると、各町村でさかんに女人講=十九夜講による如意輪観音の十九夜塔が建てられ、さらに十九夜講が発展した子安講により天明5年(1785)から子安観音像を建立され、文化文政期には一部の地域で急速に普及していきますが、その傾向は、船橋市内も八千代市内も同じように感じます。

不動院には、この六面石幢のほかにも、「飯つぶ地蔵」として肩から口にかけて白米の飯を盛り上げてつける供養式で有名な釈迦如来座像や、江戸時代の2基の立派な庚申塔など、優れた江戸時代の石造物が残されています。

船橋のmoriさまの寄せてくださったコメントがきっかけで、再度たずねた不動院。今回その石造物を熟覧してきましたが、信仰心のほか強い経済力もあった猟師町の人々、とくに女人たちの姿に思いをはせた2005年師走でした。

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コメント

上記のブログでは、銘文の一部の画像しか載せませんでしたが、石造物や古文書に詳しい八千代市郷土歴史研究会の方々に画像を見て解読を助けていただいています。

まだ不明なところがありますが、皆様のお知恵を拝借したく載せてみますので、ご教授のほどよろしくお願いします。

(正面から右回り順)

1.(正面)「奉新造六観世音」像容不明(准胝観音像?)
 (下部)「おさあ □□□/ お□り お女/ おたま □□ /□んま たけ /こ女ろ と米/ 万女」

2.千手観音像
 (下部) 「猟師町横丁/ 不動院日栄代/ 妙真/ 妙案/ 妙栄/ 妙凉/ 日多/ 妙蓮」

3.「女念仏講為二世安楽/ 元禄十四巳年今月今日」聖観音像
(下部)「おふう おい女/ およし おしゃな/ こ女ろ おかめ/ おさ女 せん女/ おか 万女」

4.(背面)馬頭観音像

5.十一面観音像
 (下部)「石切 六兵衛/ 貞心/ 覚神/ 道秋 及鏡/ 貞感 妙盛」

6.如意輪観音像
 (下部)「浄頓 妙澄/ 妙仲 道春/ 妙浄 妙春/ □人日行」

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2005年12月24日 (土) 11:23

こんばんは。というより、あけましておめでとうございます。船橋のmoriです。
私の気になっていた不動院の「六面石幢」の件を明快に書いてくださって、ありがとうございました。念仏講、十九夜講にも、いろいろ歴史の変遷があったのですね。書いてある文字も細かく、当方古文書の知識もあまりなくて、なかなか読めず、それを今回のように解読してくださった方々にも脱帽します。
街中を歩いていても、歴史の扉はあちこちに開いているものですね。

投稿: mori_chan | 2006年1月 1日 (日) 18:54

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受信: 2008年6月15日 (日) 22:20

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