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2005年10月29日 (土)

I-5 「犢橋貝塚」を撮りながら

05  八千代市のわが家から、近くの貝塚は、一番が神野貝塚とすると、2番目は千葉市内の犢橋貝塚でしょうか。

 印旛沼から神野貝塚と佐山貝塚にはさまれた新川を遡ると、成田街道とクロスします。  その橋の手前に大和田排水機場があり、台風のときなど、時折巨大ポンプが稼動して印旛沼の水位調整をしていますが、現在はここが、印旛沼と東京湾の分水界です。
 印旛沼と東京湾を結ぶ水路開削の歴史は古く、江戸時代に印旛沼干拓大プロジェクトとして三度試みられましたが、全て失敗し、完成したのは昭和41年(1966年)。水位の落差をポンプの機動力に依存することにより、成功したといえるでしょう。

 かつての分水界は横戸あたりで、その南西側の犢橋は東京湾側花見川の最奥、北東側の勝田は印旛沼水系であって、勝田川の支流も宇那谷まで深く入っていましたら、その間の距離はほとんどなかったともいえます。

 私は、鎌倉時代の忍性の東国での足取りを追いつつ、この花見川を遡上し、花島観音~村上正覚院を小舟と陸路を使って、東京湾岸から香取の海へ通じる交通ルートが古代から中世の道として重要だったのではないかと、思うようになりました。
 まして縄文海進のころは、水系を異なっても、勝田川上流の内野第一遺跡(み春野団地内)とは犢橋貝塚は、隣むらだったことでしょう。

05  さて、さつきが丘団地内の「国史跡」の犢橋貝塚ですが、秋晴れの先週日曜日(2005.10.23)、中央窪地型集落遺構としての地形がわかる写真を撮ってみたいと思い、この遺跡を訪ねました。
 犢橋貝塚は、東京湾側に立地する遺跡ですから、ここは地元「千葉市の遺跡を歩く会」「園生貝塚研究会」「千葉市の貝塚」のお得意とする遺跡で、そちらのHPに詳しく掲載されていますので、詳しい内容はそちらをぜひご覧ください。

 この貝塚は、箱型地形の窪地をとりまく典型的な馬蹄形貝塚とのこと。谷につながる開口部より、内側のくぼみの低い点では、環状といってもよく、また学史では、明治20年に「東京人類学会雑誌」にその報告されているほど、調査の歴史は古く、かつては明治大学や千葉大学などによって調査が繰り返されたようですが、その詳細は不明とのことです。
 現在は、南北180m×東西160mのマウンドと窪地が、昭和56年(1981)国指定史跡としてそっくり保存され、きれいに芝の張られた公園として市民の憩いの場として活用されていますが、その周りは、未調査のまま破壊されたそうで、地形も団地造成ですっかり変わってしまっています。 05

 (⇒画像は、貝がたくさん見える北西の斜面。子供にとっては遊具よりおもしろい)

 先日の「馬場小室山遺跡に学ぶ市民フォーラム」で明らかにされたように、縄文後晩期の環状遺丘の外側には、きっと中期の住居跡や晩期の水場遺構があったでしょうが、今となっては調べようもありません。(その点では、加曽利貝塚の保存の現状は、貴重ですね。)
 また、ここからの出土遺物も貴重なものがあるそうで、その一部、東京人類学会の資料が、東京大学総合博物館にあるとのことです。kotehasi

(これは、東京国立博物館で展示されていた深鉢です。⇒)

 私は、このきれいに整備された公園が、地域の人々や考古学に関心のある市民に、縄文時代の貴重な遺跡としても、もっと身近な存在であってほしいと思います。
 そしてそのためには、公園に隣接したさつきが丘公民館などに、調査した大学から遺物を借り受けて展示し、また資料コーナーを作るなどの工夫を、ぜひ行政と大学と市民が協力して行っていってほしいし、またそうしなければ、実にもったいないような気がします。

 犢橋貝塚と前日(05.11.22)訪ねた真福寺貝塚。どちらも考古学史上有名な国史跡ですが、その遺跡の価値を知ってもらうためには、遺跡に隣接した公民館や市民センター、あるいは図書館などにぜひ遺跡の紹介コーナーを作っていただけるよう念願します。(高額の箱物施設を設けてほしいのでは、決してありません。)
 05 これは、翻って私のかかわっている馬場小室山遺跡でも、三室公民館において実現したい、あるいは八千代市内の遺跡でも、市民と行政の協力でかなえたいことでもあります。

  ところで、「環状盛土遺構」の撮影にチャレンジするという目標は、未だ道遠しですが、井野長割遺跡では陽の光の傾き、また犢橋貝塚では、風情とスケールがわりに、子供や人の姿をうまく入れることがコツとわかってきました。でもやっぱり、ムズカシイ!

(画像はクリックすると大サイズがホップアップします)

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コメント

いつか犢橋貝塚の土器にお目にかかりたいと思っていたら、たまたま国立東京博物館で深鉢が展示されているのをみつけましたので、その画像を追加UPしました。
縄文後期後半の安行1式か?と思いますが、同じ千葉県の西広貝塚の紋様構成に似ていますね。

投稿: さわらびY(ゆみ) | 2006年3月25日 (土) 09:13

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