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2005年9月26日 (月)

I-3 環状盛土遺構ってなに? 寺野東遺跡の風景

 馬場小室山のフォーラムが近づき、あわただしいこのごろですが、そういえば事務的なPCワークに忙殺されて、8月11日に寺野東遺跡に行ったことすら、アップし忘れていました。
 今回のフォーラムのポイントは、第1日目は「環状盛土遺構ってなに?」、そして2日目の市民フォーラムは「遺跡の重要性を未来にいかすには?」っていうところでしょうか。

  「環状盛土遺構」とは、真ん中がくぼんだドーナッツ型の縄文ムラのかたちのこと、栃木県小山市の寺野東で工業団地造成に伴う調査で発見された遺構の保存をめぐって、「巨大な祭祀スタジアム」遺跡と意味づけされた時期もあったようですが、その後の阿部芳郎先生などの研究で、縄文後晩期に住居を同じ場所に繰り返して築いた結果、幾層もの土層となり、たかまりとなった遺構と説明されるようになりました。
 土の層に貝殻が多ければ、「環状貝塚」というわけで、なんだ、加曽利南貝塚も同じかと、目からウロコ!
 実は、関東各地の貝塚や縄文後晩期の土器の散乱する台地の畑を見直すと、このパターンに該当する遺跡が多いようです。

 さて、この環状盛土遺構を歴史的景観として、ホームページで一目瞭然に表現できるか、というのが、昨年来の私の課題でした。
  報告書によくある概念図を、空撮写真を使ってわかりやすく表現されていたのが、あるけ~さんの「千葉市の遺跡を歩く会」HPの「環状盛土遺構の分布」。 私が馬場小室山に興味を持ったきっかけのページで、馬場小室山の概念図をつくる際のヒントにもなりました。
 でも現地で、実際に目で見ても、まして、写真に撮ってみても、「環状盛土遺構」を一目瞭然にというのは、難しいですね。
 井野長割遺跡でのあるけ~さんの「まわる遺跡見学(360度 version.)」というのも努力の結晶。
 私も「縄文遺跡のある風景 in印旛沼周辺の遺跡群」井野長割遺跡の撮影は、現地通いを続ける結果になりました。

  中世の要害だったり、古墳だったりした北総の台地の沼川に面した見晴らしのよい場所は、縄文のむらの条件でもあるのですが、藪と林に化している現状では、中世城郭遺構>古墳>環状盛土遺構の順に見えづらいのが実情です。環状盛土遺構の窪地の斜度は、スープ皿程度もないのですから。05


 そこで、「寺野東遺跡」! ここは、調査結果による計画変更で保存されることになり、遺構を保護するため50cmぐらい土をかぶせ、芝張りをして、「環状盛土遺構が見える」ように公園化してくれています。(近世の用水工事で半分失われているのが残念ですが)
 ついでに、陶板の模型もあるので、実体験はここが一番でしょう。05
  そこで撮影した一枚、なんだゴルフ場みたい?! う~ん、なかなか、難しいですね。

  9月17日にやぶこぎの実踏となった園生貝塚、ここも環状貝塚=環状盛土遺構でした。
 ほとんど見通しのないジャングルでは、古墳でさえ、斜度を実感するのは難しい。実測図を片手に、いったい何所が中央窪地なのか?
   その時、鈴木正博さんが言った一言が印象的でした。
 「馬場小室山に初めて入ったときも、こんな感じでしたよ。」

IMG_0908
 そして、盛土のてっぺんに立っていただいて、窪地の中央から写した一枚がこの写真です。多少は高さがわかるかしら?

 私たちの気づかない北総台地のどこかには、周知されてない古墳や城砦跡などのほかにも、「環状盛土遺構」がまだ眠っているのかもしれませんね。

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