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2005年8月 2日 (火)

I-2 成長する遺跡広場「下宅部遺跡はっけんのもり」

 7月31日、馬場小室山遺跡研究会でのお友だちと、さいたま川の博物館の特別展「蘇る縄文~自然と暮らした人々~」を見にいきました。「湿地部に封印された、木器や木の実、漆塗りの容器、編み物などを展示し、自然の中で暮らした縄文人の暮らしぶりに触れていただく」というのが、企画展の主旨。ちょうどその日開かれた阿部芳郎先生の「縄文人の暮らし」の講演会ももちろんお目当てです。
 先日見に行った国立歴史民俗博物館の特別展「水辺と森と縄文人」も同じような企画でしたが、土器だけでない縄文の遺物に触れることにより、縄文文化をよりリアルに把握できたかと思います。
 この両企画展では、東村山市の下宅部遺跡の出土品も数多くあり、特に飾り弓や彩色された土器、精巧な加曽利B式の注口土器などが目を惹きました。

 さてこの下宅部遺跡って、今はどうなっているのでしょう。昭島市から同行してくださったHさんが「帰りに寄りましょう」といってくださったので、お言葉に甘え、寄居から狭山丘陵へとドライブして、この下宅部遺跡に案内していただきました。05
 この遺跡、ちゃんと西武園の大観覧車を望む線路際の中層の都営住宅街の中に、公園として残っていたのです。
 入口には、発掘の経過や遺跡概略図(縄文時代と古墳時代別)、出土遺物などがカラフルな説明板(⇒画像をクリック)がありました。

 [成長する遺跡広場「はっけんのもり」
 下宅部遺跡の重要性から、都営住宅建設計画を変更し、遺跡のうち最重要地点と考えられる約3000m2が、当時のまま地下に「埋没保存」されることになりました。
 遺跡の保存にあたっては、発見を担当した遺跡調査団をはじめ、市民有志による「下宅部遺跡はっけんのもりを育てる会」が中心となって「成長する広場」をキーワードに、発掘成果を活かした「遺跡広場」として整備し、遺跡の保存と活用を考えてきました。
 この「下宅部遺跡はっけんのもり」は、面積としては小さな公園ですが、市内で初めての「遺跡」の広場として、みんなで育てて活用していける広場なのです。]

 う~ん、なるほど さすが東村山市! 05
 公園は、低湿地遺跡を守ってきた湧水をそのまま小さな小川として活かし、暑い夏の夕べ、子供たちが水辺に住む生物たちを追っかけて遊んでいました。(⇒「さわらび通信」TOP画像)
 奥のほうには、古代の水辺の祭祀遺構と考えられる「池状遺構」(⇒画像)が復元されています。

 「下宅部遺跡公園ワークショップ」というのも盛んなようで、作りっぱなしではなく「みんなで育てて活用していける広場」としての発展をコンセプトとしている点に、これからの遺跡保存と活用の未来が感じられました。

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コメント

ごぶさたしてます。奇遇ですなぁ、実は最近下宅部のコーナーを開設したばかりなのです。あとBLOGですが、yahooのやつはクローズしてこっちhttp://blog.livedoor.jp/shako_a/に引越しましたのでよろしくおねがいします。

投稿: しゃこ | 2005年8月 6日 (土) 10:51

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