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2005年7月23日 (土)

Y-3 仮称「栗谷式」土器のデビュー!

 ところで、栗谷遺跡というのは、八千代市の保品、今は東京成徳大学の広大なキャンパスにあります。
 印旛沼に面した標高20~25m位の台地上に旧石器から、縄文、弥生、奈良平安時代までの遺跡が広がっていることが、大学建設と八千代カルチャータウン開発に伴う1988~1999年の発掘調査で明らかになり、特に弥生後期の住居跡94軒と大規模なこと、そこからまとまって壷や甕が検出されていることが注目されています。

kuriyasiki  その栗谷遺跡出土の土器は、八千代市遺跡調査会事務所で5月に公開された後、7月18日浦安市郷土博物館で開催された千葉県北西部地区文化財発表会で、ロビーのとてもよい場所のガラスケースに収まって、再びご披露されました。

 その展示ケースの中でも一番よいところに飾られたいくつかの口径が広い甕がありました。
 文様がなく、頸部に臼井南式にも特徴的な輪積みの跡を意識的に残し、胴の上半分には、S字の連続する結節文や小さな丸い刺突文のラインを1~2段ぐるりとリング状にまわしています。
 視線を縦に誘う大崎台式の土器に比べると、輪積みの線も、胴に施された細い線条紋も、視線を水平へと展開し、ふくよかに安定したフォルムをいっそう引き立てています。
 下半分に縄文が施される土器もありますが、胴の一番太い線から下なので、上からの視線からたぶん陰の部分になるでしょう。
 7月2日鈴木M氏の主宰する「弥生道場」でT花さんが提案した、仮称「栗谷式」の土器です。

 近隣の弥生後期の遺跡としては、1973年からの区画整理に伴う佐倉市の京成臼井駅南側の臼井南遺跡(現王子台)が有名ですが、その後発掘調査された八千代市内の権現後遺跡(現ゆりのき台)、佐倉市大崎台遺跡・江原台遺跡などからの土器についても、報告書や特にT花氏の研究論文などで、その姿が明らかになってきました。

 印旛沼周辺では、弥生中期後半から、茨城県などに分布の中心がある土器の一部と東京湾沿岸を主体とする土器、さらにその両地域の折衷ともいえる土器が、再葬用の土器棺に見られるようになり、後期からはさらに、住居址に残された生活用の土器に「北関東系とも南関東系ともつかない」多種多様な個性が現れてくるそうです。
 それぞれの地域で個性ゆたかにたくさん作られたこれらの土器を、系統立てて分類、編年する作業は至難の技のようですが、茨城県内の遺跡に詳しい研究者と北総の研究者の議論の中で、明らかにされていく過程と結果を見守っていきたいと思っています。

  仮称「栗谷式」土器も、その議論と共同研究の中から生まれつつあるようで、栗谷遺跡からのある程度まとまった特徴的な出土例を型式設定することで、江原台や臼井南その他近隣の遺跡から散発的に見られる同じような土器をうまく説明できることが期待されています。

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