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2005年6月11日 (土)

T-1 坂戸草刈堀込遺跡と八木原貝塚を訪ねて

雨の多い季節、いよいよ梅雨入りの気配。幸い週末はお天気に恵まれ、6/4の土曜日は、印旛沼南岸の鹿島川上流の坂戸草刈堀込遺跡と、四街道千代田団地内の八木原貝塚へ、6/5の日曜日は、「千葉市の遺跡を歩く会」主催の加曽利貝塚周辺の見学会と学習会と、縄文遺跡の景観を歩いてきました。
今日(6/11)のある中世城郭の遺構探索にも、天気予報一発逆転の好天に恵まれ、このところついています。(明日の馬場小室山もどうか晴れますように。)

佐倉市の坂戸草刈堀込遺跡は、川村美術館の近くの国道51号線沿いにあります。
先週4日の土曜日も、とにかく雨の降る前にいってみようと、印旛郡市センターの「研究紀要2」と、あるけ~さんのHPをプリントして持って、坂戸草刈堀込遺跡を訪ねました。

ここはかつてはその民俗行事にちなむ「若衆山」遺跡と呼ばれた縄文土器の出る丘だったよう。
最近?になって、「環状盛土遺構」としての情報から、あるけ~さんのHPにもUPされ、印旛沼水域の遺跡として私も興味を持っていました。050604kusakarihokkome2s

地主の岩井氏が遺物の採集と研究に熱心で、台付浅鉢(安行2式)、貝殻の詰まった台付浅鉢(精巧に作られた安行3a式)、注口土器(安行3a式)を芋穴などから発見し、上記の研究誌の資料となっています。

岩井氏にはお会いできませんでしたが、草刈堀込の東側の畑山林内の遺跡の地形と土器の散布状況、土の色の状態はよく観測できました。ただし51号線の西側は、草むらなのでやぶこぎはあきらめました。
感想としては、概念図の遺跡の範囲の長細い形とは違って、マウンドがいくつか連なっているように(少なくても東側で3つ?)見えます。51号線沿いの南側のマウンドが壊された状態で観察でき、土器片も集中していました。いずれゆっくり再訪してみたいと思っています。

帰りに千代田団地内の八木原貝塚に寄り、公園の管理人さんに数年前の明治大学阿部芳郎先生の発掘調査現場を案内してもらいました。

阿部先生は岩波ジュニア新書『縄文のくらしを掘る』でこの貝塚について「現在団地にくらす人々が憩う緑豊かな公園は、実は造成中に貝塚が発見されたことによって、急遽現状保存された場所なのである。・・・地元の方々の文化財に対する理解と熱意の賜物に他ならない」と述べています。
そして考古少年だったころ、この貝塚近くの調査されずに破壊されていく貝塚の工事現場で「できるだけ採集した場所を細かくノートに記録しながら、たくさんの遺物を拾い集めて調べた。そのうち気がついたら考古学を学ぶ道にはいっていたのだ。」と書いていらっしゃいます。

発掘現場は、台地の縁に近いところで、畳2枚程度がちょっとくぼんでいます。
『縄文のくらしを掘る』や阿部先生の盛土遺構に関する論文や発表スライドに出てくる深いトレンチはここなのかとしばし眺めていました。050604tiyoda

その上の整地された広場から水呑場にかけて摩滅した土器片がたくさん散らばっています。 きっとこの辺が盛土や住居跡があったところでは、と思いました。

近くに「思春期」と題された少女のモニュメント像が本を読みふけっている静かな6月の千代田団地の公園でした。

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