J-2 穿孔のある上谷遺跡の逆三角形土偶(by.Y)
5/14、八千代市遺跡調査会で、見せていただいた中で、特に珍しかったのが、逆三角形土偶です。
右の小さいほうが3.15×H2.45cm、左の大きいほうが4.0×H2.7cm、厚さは1cm未満の扁平な小さな三角形の、知らなければ「どうしてこれが土偶なの」という、 どちらも上谷遺跡出土の撚糸文期(縄文早期)の土偶です。
面白いのは左の方、ひびが入って割れていたみたいで、開けてみると真ん中に、串でさしたような細い穴がかなり奥まで入っています。
4/24に土浦市の上高津貝塚での講演会で、原田昌幸氏の特別講演「土偶の移り変わりと造形」がありました。そのレジュメの中に、木の根(あの成田空港反対の団結小屋があったとこ?)出土のこれに良く似た早期の土偶があり、やはり上下に穿孔があります。その意味については、人体を貫通する穴(ミルクのみ人形の中のパイプのようなのかな?)ではないかとの説明でした。
また以前読んだ篠原正氏の論文「金堀遺跡出土の土偶に関する一考察」(S61『印旛郡市文化財センター 研究紀要1』)のなかでも、金堀遺跡(富里市)の逆三角土偶の真ん中に穿孔があったのを思い出しました。この篠原氏の論文に復元模式図があって、○+▽+△を縦に串刺しにした仮説の図は、思わずおでんの串刺しを連想させます。
上谷遺跡の二つの三角土偶がセットかどうかはわかりませんが、左の穴のある三角形の下胴体部分に、逆三角形の上の胴体部分を爪楊枝ぐらいの棒で連結されたものだと思います。箱の中には、得たいの知れない小さなボタン状のものなどもありましたから、頭部に相当するものもあったかもしれません。
類似した草創期早期の逆三角の土偶は、富里の金堀、成田の木の根、芝山の朝倉、八街の小間子Aの各遺跡に見られるそうで、印旛沼の南東側に特徴的な土偶のようです。今回私が見せていただいた上谷遺跡の逆三角土偶はそのエリアの西端になるのでしょうか。
それにしても、こんな小さな遺物を注意深く採集された調査員の皆様に、敬意を表します。
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コメント
T花氏より、メールいただきました。ご助言に感謝します。
逆三角形の土偶ですが、白井市の寺向遺跡でも1点出土しています。撚糸文土器の頃でしょうか。穴はあいていませんが、三角形の頂上部に小さな窪みがあります。
文献 平岡和夫ほか 1985「白井町寺向・捕込附遺跡発掘調査報告書」 山武考古学研究所
投稿: さわらびY(ゆみ) | 2005年5月17日 (火) 23:51